しばらくして、ミラレパは意識の混迷から醒めてきた。彼は師父から教えられた超度の口訣を思い出すと、すぐに打座して入定し、口訣を黙呪して七昼夜を過ごした。すると、母親と父親がそろって浄土に引導されたのが見えたので出定した。
ミラレパは出定すると、さらに人生の無常と生老病死の悲哀を感じたので、さらに努力し修行しなくてはならないと決心し、自らに誓った。「もし私の心が堅く定まっておらず、修行する決心がつかないようになり、世間の苦、楽、富、毀、誉、貴、賤の八風に惑わされたなら、私はむしろ自ら命を絶つ。もし私に一点でも快楽を求める心があり、楽をする考え方があるのなら、空行護法の神に自らの命を絶っていただきたい」。ミラレパは心の中で何度も誓いを立て、修行する決心を固めた。
ミラレパは母親の遺骨を処理すると、心の内に寂寞としたものを覚えた。しばらく家に帰らないうちに、母親と妹が見えなくなったばかりか、母親の遺骨さえ満足に埋葬されていなかった。これは彼に生涯忘れられないものを刻み込み、人生の虚幻と無常を感じた。
「ああ」、彼は嘆いた。世上の人で、金もうけを考えない人はいない。汗水たらして苦労して財産を築き上げても、最後には、結局夢幻の一コマにしかすぎない。
「人生の苦労を味わったことのない人こそ、世間の快楽を求める。人は誰でも最後には死に、死んだ後は必ずまた輪廻に入って苦しみを受ける。もし、人が時としてこれを銘とすることができるのなら、世間の短絡的な快楽や虚幻の富貴栄華ばかりを求めることはなくなるだろう」。ミラレパはこう自らに言い聞かせ、決心を固めた。
「わたしはすでに人生を見切った。したがってどのように貧乏になろうとも、どのように人に笑われても、これからの生涯は、自らと衆生のために正法を修める。わたしはかならずや世間の一切を放棄し、終生を修行に捧げ、世間の苦楽を超脱し、本当の解脱に到達してみせよう」
あくる日、ミラレパは托鉢で得たツァンバといささかの食料をもって、郷里の近くにある山の洞窟に入って修行を始めた。彼は洞窟で打座の修行を始めると、数か月も山を下りなかった。山に入る前に托鉢で得たわずかな食糧だけが命の綱で、ここ数か月で、彼の功は大きく前進したものの、栄養失調のために体が衰弱していた。最後には、わずかな食糧も底をつき、彼は自身の身体さえ支えきれなくなって、山を下りて食料を得なくてはならなくなった。
このとき、ミラレパは骨と皮ばかりになり、体は衰弱しきっていた。彼は山から下りると、麓には牧場があり、テントがひとはり立っていた。彼はテントの前に立つと、中の人に向かって話しかけた。
「すみません、旦那さん。一介の行者ですが、托鉢に参りました。どうか、チベット・バターでも恵んでもらえませんでしょうか」
これを聴いたテントの中の人は、何ももって出てこなかったばかりか、却って猛犬を仕掛けてきた。ミラレパが自衛のために石礫を忙しく投げていたとき、テントの中の人が出てきて怒鳴った。
「この悪魔、ろくでなしの穀つぶしが!全村民の敵が!恥も知らずに、よくもまあ帰ってきたね!あんたの家族は、あんたが原因で死んだってのに、よくもまあ帰ってこれたもんだね!」
(続く)
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