<書評>遠藤誉著「裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐」
「中国共産党の歴史は、血塗られた野望と怨念の歴史だ」(同書まえがき)。
中国研究の第一人者である遠藤誉氏のこの一文は、まさに正鵠を射ているという一言に尽きる。その言葉の後に、遠藤氏は「それを正視するには、『鄧小平神話』を瓦解させなければならない」と続けている。
この「鄧小平神話を瓦解させる」という一点に、同書の精力が集中されているといってもよいだろう。80年代から今日まで約40年続いた「赤い資本主義」は、もとより鄧小平が唱えたものだが、表面上の経済発展とは裏腹に、すさまじい拝金主義と社会道徳の崩壊を招いたことは否めない。
それはともかく、中国共産党の悪魔的本質は、権力のためなら恩人をも破滅に追いやり、無数の庶民を苦難と恐怖のどん底に陥れる。これが赤い貴族たちのやり方なのだ。
今年、中国共産党は成立100周年を迎える。しかし、その100年を省みたとき、例えば50年前の日本人のなかで、中共の血なまぐさい歴史と邪悪な本質を認識できていた人は、どのくらいいただろう。かつては、日本人のなかにも少なからぬマオイストや中共シンパがいたが、それらの人々は今の中国を見て、何を思っているか。本書は遠藤誉氏の力作にして、中国共産党の本当の姿を、「高崗事件」と「劉志丹事件」という二つの事件から暴くものである。
遠藤氏は執筆活動を通して、この2つの「謎の事件」の犯人が鄧小平であることを解明する。事実、鄧小平は「高崗事件」のあとに出世街道を歩み始めた。そして本書では、今まで鄧小平が提唱したとされている「改革開放」や「経済特区」は、もともと習仲勲らの発案であり、鄧小平がその手柄を横取りしたことを暴いた。「鄧小平神話」が音を立てて崩壊した瞬間だ。
遠藤氏によると、習近平が鄧小平に対して復讐する際、「父親の仇を討つ」ことと「一党独裁支配体制を優先する」ことの間で何度も苦しい選択を迫られ、最終的に一党独裁を選んだ。そして、これこそが習近平の「脆弱性」であると分析する。
一党独裁体制を保持したまま、経済力と軍事力で武装した中華人民共和国は今、自由と民主主義に裏打ちされた世界秩序を揺るがそうとしている。
「このような言論弾圧と民主弾圧をする国家の価値観が、やがて全世界を統治するルールになっていくことを、人類は許していいのだろうか?」。それは遠藤誉氏が同書を通じて投げかけた疑問、というより痛切なる提言である。
著者はまた、あとがきのなかで、中国共産党が1948年に行った長春包囲戦について触れている。第二次世界大戦が終結した3年後である当時、家族とともに長春市内にいた遠藤氏は、中国共産党軍による都市包囲戦ですさまじい兵糧(ひょうろう)攻めに遭った。数十万の一般市民が餓死した悲惨な出来事は、中国共産党の残虐さを如実に物語っている。
残虐行為もいとわない中国共産党に世界を制覇されないために、遠藤氏は日本が毅然とした対応を取ることの重要性を強調する。
そのためには、まず共産党の本質とその歴史について知らなければならない。脳内に巣食う共産主義の要素を除去するためには、共産主義の邪悪さと本質をまず認識しなければならないのだ。
虚言と暴力を基礎とする中国共産党政権は、言わば砂上の楼閣であり、プロパガンダと強権による言論統制がなければ政権維持すら難しい。この最大のアキレス腱について、当の中国共産党は百も承知であるがゆえに、どこまでも虚言を撒き、暴力を用いる。
危機は差し迫っている。遠藤氏は言う。「100年前のコミンテルンのヤドカリ作戦のように世界各国に潜り込んで成長し、やがては中国共産党が支配する世界を創ろうとしているのだ」。
ひとりでも多くの日本人が本書を読み、中国共産党の邪悪な本質、すなわち遠藤氏が看破した「血塗られた野望と怨念の歴史」とその正体に気付かれることを願ってやまない。
(王文亮)