【古典の味わい】貞観政要 8
貞観7年のこと。襄州の都督(ととく)であった張公謹(ちょうこうきん)が死亡した。
太宗は、その訃報を聞くと大変悲しみ、宮殿から出て、優秀な部下であった張公謹のために喪(も)を発した。
天子の突然のふるまいに、祭祀を扱う係の役人が驚き、こう申し上げた。
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