レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』(T-Shiozaki / PIXTA)

【芸術秘話】天才の集中と散漫――レオナルド・ダ・ヴィンチ(中)

レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院で、『最後の晩餐』を創作していた頃の話です。当時の場面を完全に再現するため、レオナルドはイエス・キリストの生活習慣や、食器などを考察し、また、宗教に詳しい学者たちとも話し合いました。

イタリアの作家のマッテオ・バンジェロの回想録には、レオナルドについてこのような描写があります。

「レオナルドは早朝から絵筆を手に取って、脚立に乗って作業を開始し、日が沈むまで離れず、食を忘れることもしばしばあった。時には3、4日間全く絵筆を触らず、壁画を眺めながら、1、2時間も呆然としていることもあった。また突然、用事先から飛び出して修道院に向かって疾走し、脚立に登って絵筆を取り、ほんの少し描き足しただけで再び戻っていくのを何度も見かけた」

このことから、レオナルドはどこにいても、常に創作の内容を考えていたことが分かります。

しかし、この完璧を追求する習慣は、時には誤解を招いてしまうこともあるのです。修道院長はレオナルドが呆然としているところをよく見かけたので、彼が何もしていないと思って、何度も催促し、そして、スフォルツァ公爵に告げ口をしました。

公爵がレオナルドに問いただしたところ、レオナルドは「芸術家は知恵を絞って深く考え、構想を完璧にしてから実際の作業に取り組みます。今はまだ、イエス・キリストと裏切者ユダの顔が思い浮かびません。適切なモデルを見つけるには時間が必要です。院長がどうしても急かすのなら、院長の顔をモデルにユダを描くしかありません」と答えました。これを聞いて、公爵は思わず笑ってしまい、院長もそれ以降、何も口出ししなくなりました。

この大作は構想から完成まで4年かかり、実際、修道院長と公爵の催促がなければ、もっとかかっていたかもしれません。『最後の晩餐』が世の中に広まった後、ルネサンス期は正式に全盛期に入り、人類の芸術が真に成熟したと考える歴史学者もいます。

「真実」と「完璧」を追求することは常にレオナルドの信条であり、彼の仕事や作品に注いだ心血は他の芸術家の数倍とも言えます。例えば、植物をスケッチする時、まず植物の構造を詳しく観察し、そして、その植物の生態や、成長過程などを研究します。

人体の構造を把握する時も同じです。レオナルドは自らの手で死体を解剖し、骨格や筋肉と動作の関係を研究しました。そして、生命への好奇心により、彼は医学分野に足を踏み入れたのです。

しかし、これらは芸術家が理解すべきことではありません。好奇心を持つことは良いことですが、同時に欠点でもあります。徹底的に究明し、完璧を追求するというこの執着により、レオナルドはよく実際の作業や仕事と関係のない他のことに熱心になることが多く、芸術作品の創作が遅れることがよくありました。

また、レオナルドは芸術作品を創作する時、高望みをして、結局、失敗したこともありました。例えば、巨大な「スフォルツァ騎馬像」や不適切な技法で描かれた「アンギアーリの戦い」などが挙げられます。そのため、レオナルドの一生の中で、完成された作品は極めて少なく、多くの作品が未完成のままだったのです。

(つづく)

(翻訳編集・天野秀)

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