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日中友好「50年の幻想」日本が今後とるべき道は何か?

「友好」とは、その原義においては、まことに良い意味の言葉である。

「友好の始まり」は美しかった

ただし国際社会における「友好」は、実際のところ、なかなか扱いが難しい。

友好という言葉は、使いようによっては(自他ともに)都合の良い「道具」にもなるが、使われようによっては国益を吸い取られる「罠」にもなるからだ。

さらに恐ろしいのは、相手国のなかで重大な人権侵害が行われている場合、日本がうかつに友好関係をもつと、知らずしてそれに加担することにもなるのである。

したがって、「友好関係を今後も続けていくことが望ましい」というのが、日本語としての自然な文脈ではあるが、こと中国に限定して言えば、そう簡単にはいかないのだ。

今から50年前の1972年9月29日。日本の田中角栄氏と中国の周恩来氏、この両国首相の間で「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」いわゆる日中共同声明が、北京で調印された。

壇上に並んだ2人の首相が、毛筆で署名した後、万感の思いあふれる表情で固い握手を交わした。

筆者も当時、ニュースで見た記憶があるが、確かに感動的な場面だった。その甘美な光景は、多くの日本国民をして「日中友好」の新時代を予感させるのに十分なものだった。

一方、全く同じ日に、中華民国台湾)が日本との国交を断絶している。そのことを、おそらく当時の日本人はほとんど自覚していなかったと言ってよい。台湾には、蒋介石氏がまだ存命であった。

もはや「昔の中国」ではない

結論を先に言えば、現在の中国に対して、日本は、50年前のような友好を前面に出した付き合い方は、もはやできないし、してはならないだろう。相手は、友好の仮面をかぶって日本の領土領海を狙う、貪欲な中国共産党なのだ。

すでに中国共産党が73年にわたり、大陸全土を支配している。

ヘゲモニー政党制なので、テーブルの飾り花のようなミニ政党も複数あるが、それらは中共に対峙する野党ではないため、存在しないに等しい。ゆえに、共産党の一党独裁と言って間違いはない。

一党独裁の是非を、ここで言うつもりはない。自国民を大切にし、隣国や世界に迷惑をかけない平穏な国であってくれれば、政治の方法はどうでも良いのである。

ところが、周知の通り、今の中国はその真逆になってしまった。

50年前の日本人は、現在の中国を全く想定していなかった。むしろ経済発展することで、「社会主義中国も、日本と同じ自由世界へソフトランディングしてくれる」という甘い夢を見ていた。日本の円借款をはじめとする対中経済援助は、裏目に出たと言ってよい。

ただし、一面においては、日本も反省しなければならないだろう。

80年代後半から数年つづいたバブル景気のころ、日本経済にとっての中国市場の魅力と中国農村の「安い労働力」に目がくらみ、日本の製造業が生産拠点をそっくり中国に移したことは、はたして正しい選択だったのか。

以来、日本の茶道の茶筅から剣道具まで、安価な普及品はみな「中国製」になった。それを日本人として喜んでよいのかどうか、よく分からない。

「六四」と「東欧革命」

1972年の日中共同声明から17年後の1989年。中国では6月に、民主化を求めた学生たちを武力で弾圧した六四天安門事件が起こる。

一方、同じ89年末の東欧では、ベルリンの壁が壊され、ルーマニアの独裁者チャウシェスクが処刑されるなど、従来の社会主義体制が倒される市民革命が連続して起きた。やがて1992年、社会主義の大本山であったソ連が崩壊する。

ソ連という巨大な漬物石がはずれた東欧諸国は、それぞれの国に個別の課題はあるが、いずれも自由と民主主義を掲げる新しい国に生まれ変わって、今日に至っている。

あれから30年後の今、かつてマルキシズムという亡霊が支配していた東欧の国々は、人間らしい生活ができる国になったと言ってよい。共産党の中国と、なんと対照的なことだろうか。

「中共なき後の中国」を想定する

日中共同声明調印から50周年となる今年9月29日に、東京オペラシティで記念式典が行われるという。

一体、どんな式典になるのか。中共の思う壺にはまる式典になりはしないかと、懸念されるばかりである。日中友好の美辞麗句にほだされる前に、「相手をよく見る」という当たり前の外交姿勢を日本は持たなければならない。

さらには、「チャウシェスク後のルーマニア」に近い概念として、遠くない将来における「中共なき後の中国」を、隣国である日本は想定しておくべきではないか。

今から50年先に中国共産党が存在する可能性は、ここで断言してもよいが、ない。

おそらくそこでは、中共の暗黒時代を完全に否定する新国家が、からくも生き残った中国人によって営まれているだろう。日中両国民の真の友好は、そこから新たに築かれるはずだ。

 

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