「智」を磨き「敬天愛人」を生きる

一杯のラーメンに込めた一生【日本の中の「仁義礼智信」4】

東京の片隅に、一軒のラーメン店がある。

席数はわずか8席。

派手なネオン看板も、SNS映えする壁もない。

ラーメン店のカウンターのイメージ画像(Shutterstock)

入り口には、今日の営業時間が書かれた1枚の木札が掲げられているだけだ。

店主の老人は、毎朝5時に起きてスープを仕込む。

豚骨、鶏ガラ、昆布、そして時間。

4時間をかけて、ようやく店を開く。

売り切れたら、暖簾を下ろす。

席は増やさない。

分店も出さない。

取材も受けない。

SNSもやらない。

ある記者が彼に尋ねた。

「規模を拡大しようと考えたことはないのですか?」

彼は首を横に振り、静かに言った。

「私には、この一杯しか作れませんから」

この一杯しか作れない。

その言葉に、私はその場に立ち尽くし、しばらく動けなくなった。

私たちが生きる現代は、誰もが追い求めている――

より大きく、より速く、より多く、より稼げるものを。

誰かが「私はこの一事しかやらない」と言えば、

まるで負け犬のように聞こえる時代だ。

しかし、この老人がその言葉を口にしたとき、

その表情に、悔しさや惨めさは微塵もなかった。

そこにあったのは、私が長い間目にしていなかったもの――

「静寂」だ。

その静寂は、何かを諦めたから生まれたものではない。

彼の心の中に、もう余計なものが何一つ残っていないからこそ、生まれるものだ。

「もっと稼ぎたい」もない。

「他人にどう見られるか」もない。

「自分はまだ足りていないのではないか」という焦りもない。

心が空(から)だからこそ、

手元がブレない。

手元がブレないからこそ、そのスープに魂が宿る。

ラーメンのイメージ画像(Shutterstock)

日本を代表する経営者であり、人生哲学を説いたことでも知られる実業家、稲盛和夫も、かつてこう言った。

「敬天愛人(天を敬い、人を愛する)」

敬天――

自分よりも大いなるものを敬うこと。

自然、時間、目の前の鍋、今日の豚骨の質、今日の水が十分に澄んでいるか。

人間がすべてをコントロールすることはできない。ただ最善を尽くし、あとは天に委ねるだけだ。

愛人――

席に座る一人ひとりの客を愛すること。

彼らがどこから来て、どんな疲れを抱えているのか、店主にはわからない。

だが、彼らに差し出すのは、まったく同じ一杯のスープだ。

同じ4時間という時間、同じ心を込めて作られたもの。

このラーメンは、商品ではない。

一人の人間が、もう一人の人間へと送る、無音の真心の形なのだ。

儒教で言う「智」とは――

多くの知識を持つことではない。

自分を見通し、

自分が何者であり、何をすべきで、何をすべきでないかを知ることだ。

真の「智」とは、引き算である。

削ぎ落とし、最後にただ一つのことだけを残す。

そして一生をかけて、その一事を「敬天愛人」の修行へと昇華させることだ。

雲の上の飛行機の窓から見る風景(Shutterstock)

世界中から人々が東京へと飛んできて、

2時間も列に並ぶ。

ただ、この一杯のスープを飲むために。

なぜこれほど感動するのか、彼ら自身もうまく説明できない。

だが、彼らが口にしているのは、

単なる豚骨や昆布の出汁ではないのだろう。

一人の人間が、己を空っぽにし、

そうして一生をかけて、じっくりと煮詰めていった「生(せい)の味わい」なのだ。

その味には、欲望という名の雑味が一切ない。

澄んでいて、温かく、まっすぐ心へと届く。

邪念なく作られたものは、人々に必ず伝わる。

ただ、彼らは知らないだけなのだ。それが――

「敬天愛人」と呼ばれるものだということを。

林道悟
日本の日常に宿る美と、東洋の生活の知恵を発信するコラムニスト。