中国の古人は、これを「慎独」と呼んだ

お辞儀の重み「誰も見ていないときの自分」【日本の中の「仁義礼智信」3】

東京の地下鉄駅。

改札口の横に、一人の駅員が立っている。

数分おきに、彼はホームの方を向き、

深く一礼する。

見ている乗客は誰もいない。

ホームは空っぽだ。

彼はただ、走り去る列車に向かって、頭を下げている。

私は日本人の友人に、なぜなのかと尋ねた。

彼女は少し考え、こう言った。

「乗客があの列車に乗っているからだよ」

乗客からは、もう彼の姿は見えない。

それでも彼は、お辞儀をする。

駅のホームで業務中の駅員(Shutterstock)

これこそが肝心な点だ。

――誰も見ていないとき、自分はどのような人間であるか。

中国の古人は、これを「慎独(しんどく)」と呼んだ。

一人でいるときも、変わらず身を正す。

他人に見せるためではなく、己の良心に見せるために行うのだ。

礼とは、パフォーマンスではない。

礼とは、個人の内なる秩序が、外側に現れた形なのだ。

あの駅員は、

誰もいないホームに一人立ち、頭を下げている。

それをもう、何年続けているのだろうか。

彼はきっと、「慎独」という言葉など聞いたこともないだろう。

しかし彼は、その言葉そのものを生きている。

夜の東京駅(Shutterstock)
日本の中の「仁義礼智信」
林道悟
日本の日常に宿る美と、東洋の生活の知恵を発信するコラムニスト。