1989年6月、天安門広場に続く北京市内の路上で、武力弾圧を思いとどまらせるため、兵士に説得する人たち。 (大紀元資料室)

34年前「六四」を経験した武装警察隊員が語る悔恨 「私は人民に対して罪を犯した」

2023年6月4日。厳戒態勢が敷かれる中国の首都・北京は、若い学生を中心とする民主化運動が、中国共産党の軍である人民解放軍によって武力弾圧された1989年の「六四天安門事件」から34周年を迎えた。

もと北京武装警察消防総隊の隊員であった李明さん(仮名)は今月1日、大紀元の取材に応じ、34年前に自身が現場で体験した天安門事件について語った。

「学生たちは、間違っていなかった」

武警(武装警察)は、正式名を中国人民武装警察部隊という。その所属は公安部門ではなく、中央軍事委員会の隷下にあるため、中国の準軍事組織といってよい。

その「退役軍人」である李明さんは、当時について次のように語る。

「我われは、人民から『人殺し』と罵られているが、私も含めて当時の軍人たちは上(中共の政府)からの命令を遂行しただけだ。ただ、私にとって本当に幸運だったのは、あの時、清場(市民への虐殺)に直接関わらなかったことだ」

李さんによると、当時、命令に従って「清場」に関わった兵士たちも自分(李さん)と同じく中国共産党の当局に忘れ去られ、それに相応するいかなる待遇も受けていない、という。

李さんはまた、こう語った。

「当時、私たちは自分たちのしていることが正しいのか、間違っているのか、わからなかった。だが、30数年後の今になってみれば、あの時の学生や市民は間違っていなかったと思う。間違っていたのは私のほうだ。当時(中共の)政府を強く支持した私には罪がある。私は、人民に対して罪を犯したのだ」

34年経った今でも、中国共産党は天安門事件に対して「是正(弾圧された人々の名誉を回復し、無実の罪をすすぐこと)」していない。あろうことか、天安門事件の犠牲者を追悼したり中国の民主化を求める人びとに対する中共の妨害は、34年後の今も続いている。

天安門事件は「是正」されるべきだ、と同事件を現場で体験した退役軍人の李さんは呼び掛けた。

米NYに「天安門事件記念館」がオープン

米ニューヨーク市のマンハッタンで2日、六四天安門事件の記憶を伝える物品を集めた「天安門事件記念館」がオープンした。

同館の開設を主導した王丹氏は、AFPの取材に応じて「我われは中国共産党の本性を思い出すべきだ」と訴えた。

天安門事件の当時、現場で学生リーダーを務めた王氏は、事件後中国で数年間服役した後、1998年に米国に亡命した。

このたびオープンした記念館には、天安門広場で学生らが実際に使用した大学の横断幕や血に染まった記者のシャツのほか、事件を伝える当時の報道記事や映像、書簡など、およそ35点が展示されている。

香港の天安門事件記念館は、中国による国家安全維持法が施行されたのち、2021年に中国当局の圧力で閉鎖に追い込まれた。

そのため、今回マンハッタンのミッドタウンにある目立たない建物の、ささやかなオフィススペースに新設されたこの「記念館」は、現在のところ六四天安門事件をメインテーマとする世界で唯一の常設記念館である。

記念館開設にあたっては、もと学生リーダーらが数年かけて、およそ7000万円の寄付を集めたという。同館の参観は無料だが、今後の事業継続のため、各方面に寄付を呼び掛けている。

 

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