「顰みに倣う」(ひそみにならう)【1分で読める故事成語】
「顰みに倣う」の出典は『荘子』です。著者の荘子は道教の始祖の一人とされ、実は、『荘子』の中のすべての作品が荘子のものではなく、多くはその弟子や道教の者たちの作品です。
春秋時代、越の国に西施(せいし)という美女がいました。病により胸を痛めている時、よく眉をひそめて手で胸を押さえていました。
村の女性はその美しい姿を見て、自分もそれを真似ました。しかし、もとから西施ほど美しい容姿をしていないにもかかわらず、意図的に西施の動作を真似ているため、より一層気味悪がられてしまいました。村のお金持ちは屋敷から外出しなくなり、貧しい人々は一家そろって引っ越してしまったのです。女性は自分がなぜ嫌われているのか、なぜみんなに避けられているのか全く分かりません。
このことから、「顰みに倣う」は善し悪しも考えず、むやみに他人の真似をするという意味で、また、人の言行を見習う際、謙遜の言葉としても使われます。
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「曲突徙薪」は、事前に手を打って、災難を未然に防ぐことのたとえとして使われます。
「放虎帰山」は後で大きな災いになるものを残すという意味で、よく相手を警告する際に用いられます。
この四字熟語の出処は2箇所あります。
1つは、秦国と魏国が戦っている頃の事です。魏王は信陵君を将軍に任命し、信陵君は魏・斎・韓・楚・燕・趙の六国連合軍を率いて、秦軍を破ります。そして、勝利に乗じて追撃し、秦軍を函谷関まで追いつめました。
河南の長官・楽広には親しい友人がいますが、久しく連絡を取っていません。ある日、その訳を聞くと、「前におそばで、お酒をちょうだいした時、飲もうとすると、杯の中に蛇がいるのが見えて、気分が悪くなった。して、そのお酒を飲むと、病気になった」というのです。
荘子は『秋水』の中で、河伯(河の神)と北海の会話を生き生きと描きました。
秋になると黄河の水位が上がり、川幅も広がり、向かい側の家畜をはっきりと見分けられないほどです。河伯はこれを大いに自慢し、この世で黄河よりも壮観な景色はないとうぬぼれます。