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90年の8月1日、2人は結婚証明書を受け取ったが、その後は別れて暮らすこと4年。94年になって、耿和は何とか高智晟の戸籍をウルムチへ移し、ウルムチのセメント工場で働けるよう手配した。きつい仕事ではあったが、何はともあれ2人はとうとう一緒になれたのだった。

94年の末、セメント工場の経営が低迷していたので、高智晟は工場長へ販売に関する提案書を提出した。内容が良かったからだろう。工場長は高智晟を販売部門に回した。またその年の10月、高智晟は弁護士試験に合格し、95年正式に開業した。こうして高智晟の弁護士人生の幕が開けたのである。

10数年前、心と心が触れ合ったあの瞬間はまるで一幅の絵のように、耿和の記憶の中で永遠にとどまり続けている。耿和は幸せと満足感を抑えきれない様子で語った。「彼のあの一言があったから、今までずっと彼と共に歩んで来たのです。結婚後も、夫はあまり家にいないし、家庭のことに関わりません。忙しさのあまり、私たちを気にもかけないことすらあります。でも、夫がこの家に責任を負っていることを、家族はみな感じ取っています」

 夫の稼いだお金を使うのは、気が重い

98年、ウルムチにいた頃、高智晟はある日帰宅すると耿和に金を渡した。どれも小銭だったのに気付いた耿和がその訳を聞くと、夫はこう答えた。「依頼人は弁護士費用を支払うのに、10元20元とかき集めて来たんだ。これは、彼らが血と汗で稼いだ金だ。僕が稼げば稼ぐほど、依頼人の苦難は増えてしまうんだよ」

そのお金を手にしていた耿和はこれを聞き、ひどく心が痛んだ。自分の金なら、かつては一日1千元以上使っても惜しいとさえ思わなかった。ただ夫の稼いだ金を使うときだけは、気がとりわけ重かった。わずかなお金を使うたび、様々な思いが心をよぎった。「このお金はどの依頼人が払ったのかしら。依頼人はどんな事情を抱え、事件の最終的な結末はどうだったのかしら。裁判に勝てば良いけれど、もし負けたなら…」そう思うと、後ろめたさにさいなまれた。そして心に誓った。「夫の稼いだお金は、子供と家の必要な出費にだけ使う。残りは夫のために残しておこう」

2005年、高智晟は丸1年、有償の案件を引き受けなかった。陕北油田の案件では現地まで4度往復したが、毎回自分の懐から1万元を出した。太石村の案件、鄭貽春の案件からそのほか多くの案件まで、すべて自腹を切って弁護を引き受けた。またこの2日ほど前、耿和に1千元ほど用意させた。貧しい子の1年分の学費を工面したいのだという。家の貯金はほとんど、こういったことに使われた。

耿和は贅沢な生活を求めないし、ブランド品も崇拝しないが、家に50~60万元はあってほしいと思っていた。半分は子どもの教育費に、残りは普段の生活に使えるようにである。

年初め、高智晟は妻に告げた。「耿和、今年は僕が金を稼いで来るとは思わないでくれ。もし陕北の石油の案件でいくらか収入があっても、外に用立てたいから」

耿和は「あなたがやりたいことをやればいいわ。私は期待などしていませんから」と応えた。

 

 一旦決めたことは、絶対にやり続ける

胡錦濤主席と温家宝首相への公開状を、高智晟は事前に妻に見せなかった。事態が国内外で物議を醸し、家では絶えず脅迫電話が鳴り、自分たちの住む建物の周りが私服警官の車でひしめきあい、その上、娘を含む家族が外出の際、尾行されるようになって、耿和はようやくネットでその公開状を目にした。そして高智晟に尋ねた。「あなた、なんて無鉄砲なの。あなたが何もせず家にじっとしていても、私は何かあるんじゃないかと不安なのに。何でまた文章なんか発表して」

これに対し高智晟は、「これは無鉄砲じゃない。勇気だ」と応えた。

司法当局は10月20日頃から、「智晟弁護士事務所」に対し、一週間に渡る抜き打ち捜査を行った。これが終わっても、高智晟を何度となく警察まで呼び出した。警察も忙しいが、高智晟も暇にはしていない。書簡や文章を続々とつづっては、「尾行する若者たちへ配るよう」、外出する妻へ言い含めた。だがその日帰宅しても、それらは全く手付かずであった。怖がる妻には配る勇気がなかったことに気付いた高智晟は、すぐに家を飛び出し、全部を配り終えた。隣近所さえも忘れはしなかった。

(続く)

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