温故知新 

令和に生きる「そろばん」の知恵

温故知新(おんこちしん)という言葉があります。

人口に膾炙したこの成語の典故は、孔子の言行録である『論語』為政編のなかに見られます。

温故而知新、可以為師矣(故きを温ねて新しきを知らば、以って師となすべし)。

古来、日本では、温故を「ふるきをたずねて」と読み習わしてきました。つまり、現代に生きる私たちは、それを努めて「たずねる(さがす)」ことによって、昔からの知恵や先人の貴重な教えを会得することができます。そうして得た知識は、新しい時代である現代に調和させながら、新たな価値観として後世に伝えていくことができるのです。

先人が遺してくれた文化に対して、現代を生きる私たちが感謝と敬意を払うことは、私たちの心を豊かにするとともに、人生を楽しく、幸せにしてくれます。

そうした「温故知新」の神髄を平易に説くならば、例えば「今だからこそ、忘れてはならないもの」と言い換えても良いようです。

新シリーズ「温故知新」は、そのような「忘れてはならないもの」を、読者の皆様とともに探して行きます。

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見たことのない物品であれば、それをどう使うのか分からないものです。
古典落語に「勘定板(かんじょういた)」という演目があります。田舎から江戸見物に来た2人の男が、宿屋の帳場で使う「大きなソロバン」が何であるか全く知らなかったため、ちょっと困った騒動を起こしてしまう滑稽話です。

もちろんこれは、落語のなかでの誇張した話ですが、本当に算盤そろばん)を見たことのない平成や令和の子供たちがいるとすれば、一体何をするものか分からないのも無理はありません。その時に「これは、このように使うと、とても便利で、役に立つ道具だよ」と実演して、きちんと教えられる大人がいなければならないのですが、果たして令和の今、それができる大人や教師はどれほどいるでしょうか。

令和の現代に生きる「算盤の良さ」について、長年にわたり都内で珠算教室を運営し、とくに幼児から小学校低学年を対象として、ソロバンを基礎とする暗算を指導する菊地正芳氏は、大紀元の取材に対し、以下のように話してくれました。

まず記者が驚いたのは、小学校の算数で教える「筆算」とソロバンを使った「珠算(暗算)」との決定的な違いです。

言われてみれば全くその通りなのですが、例えば、小学校で教える筆算は「右側の下一桁から」考え始め、10進法で位が上がるたびに、左側の位へ「いち上がって」と加算しながら進んでいきます。

菊地氏のそろばん塾に入ってきた子供たちは、色々な数字がそろばんを使う中で、どの様に見えるか覚えていきます。

例えば、9なら上の玉(五玉)がさがり、下の玉(一玉)4つがみな上に上がっている。計算練習をしていく中でそうした画像情報がどんどん蓄積していきます。しばらくすると、数字とコマの現れを画像として認識しはじめる。半年も経つと、数字を見るだけで、頭の中で、その数字のそろばんのコマが見えるようになってきます。頭の中にそろばんが浮かぶようになるのです。

菊地氏によると、ソロバンのできる子供は、脳裏に「ソロバン玉の動き」を図形として想像することができるため、圧倒的な速さで「左側の、大きい桁の数字から、一気に計算することができる」と言います。

つまり「389654+458937」を、わざわざノートに書いて下一桁から計算しなくても、まさしく瞬時にして、ペンも紙も使わずに正確な答えを導き出すことができる。この6桁計算を、もたもたする大人よりも遥かに速く、幼児や1年生がすっと手を挙げて答えてしまうことになります。

菊地氏は、自身の教室に通う子供たちに向かって「自分の年と同じ桁の計算ができるように、頑張ろう」と指導しているとのこと。6歳ならば6桁計算が、本当にできるようになるそうです。

「だけど、小学校で先生が教える筆算は、答えが正解でも途中経過を書かなければバツになってしまう。あれは、いけませんね」

そう指摘する菊地氏によると、今の時代に自分の子供を珠算塾へ行かせるか否かは「親が、ソロバンの思考法が非常に有意義であることを実体験しているかどうかで決まる」と言います。

「いま60歳以上の人は、子供の頃にソロバンを体験しているのです。ところが、その下の世代になると、親自身がソロバンをやったことがない。学校の先生もソロバンを知らないのです」

いま菊地正芳氏の珠算教室へ我が子を通わせている親は、学習塾や英語などの他の習い事よりも「ソロバンの思考法が、子供にとって大切であることを知っている親」だと言います。

「(ソロバンは)やっぱりいいよね、と思った親が、子供を珠算塾へ通わせるのです」と菊地氏は語ります。

昭和時代の中期まで、放課後の子供たちは、学習塾よりも「そろばん塾(珠算塾)」へ行くケースが多かったようです。実際に珠算は、就職時に必要とされる立派な資格でした。まして「珠算1級」ともなれば、十分に尊敬されるライセンスだったのです。そのため当時、親が子供にさせる習い事の筆頭は、間違いなく「珠算」でした。

実際、会社でも商店でも、さらには銀行や郵便局などの金融機関でも、算盤は実用品として活躍していました。

電卓は、出始めのあの当時(昭和40年代前半)ならば2~3万円はしたでしょうか。そのような昭和中期において、職場の道具としての「ソロバン」は、まだまだ現役でした。
あれから半世紀が過ぎ、かつて職場の花形だった「ソロバン」は、商店や会社、金融機関の表舞台からは完全に消えました。電卓でさえ、スマホのなかにその機能がありますので、特にもつ必要はないのかもしれません。

ただし、恐ろしいことは、子供をふくむ誰もがそうした多機能スマホを持ったことで、それに依存するあまり、人間としての基本的な能力である計算力や記憶力、論理的思考力、問題解決への根気、あるいは他者への気遣いや豊かな感性などが、気づかないうちに退化しているのかもしれません。

令和の今、昭和の中頃までのようにソロバンが職場の必須アイテムであった時代には、もう戻ることはないでしょう。計算はスマホやパソコンが代行し、人間の思索は人工知能に奪われるという時代に、すでに人類は踏み込んでしまいました。

しかし、幼児教育や初等教育のなかで、珠算(そろばん)学習の有効性が見直されるとすれば、それは現代と未来の日本人にとって貴重な「気づき」であり、温故知新の理念に則したものと言えるかもしれません。

今回取材した菊地正芳氏の珠算教室は、東京都中央区にある「Sanraku Soroban School 日本橋校」です。

大道修
社会からライフ記事まで幅広く扱っています。
鳥飼聡
二松学舎大院博士課程修了(文学修士)。高校教師などを経て、エポックタイムズ入社。中国の文化、歴史、社会関係の記事を中心に執筆・編集しています。