月といえば「かぐや姫」 中秋の名月に『竹取物語』をもう一度読んでみませんか?

の名月を楽しむ「月見」は、日本の秋の風物詩として古くから親しまれています。月を眺め、感謝の気持ちを捧げるこの風習では、月に見立てた白い「月見団子」を食べるのが特徴です。満月の夜、ススキを飾り、月を眺めながら過ごす時間には、月に対する憧れが漂いとても神秘的です。

現代では、秋になると「月見バーガー」などが登場し、季節を感じるこの風習は、月に対する人々の思いを感じさせます。月宮で餅をつく玉兎(うさぎ)の姿や、美しい満月の光景は、日本の中秋の象徴的なイメージとなっています。

日本の中秋では、月を眺めながら、月宮に住む仙女や玉兎(仏教や道教の影響を受けた伝説、「月の兎」に登場する)が注目されます。月神への感謝や、玉兎の勤勉さや優しさを讃える文化が根付いており、その伝統は今も続いています。

 

日本神話『竹取物語

『竹取物語』のイメージ図(Shutterstock)

 

『竹取物語』(たけとりものがたり)、またの名を『かぐや姫物語』は、日本最古の神話の一つです。この物語は、美しい「かぐや姫」が月から地上に降り立ち、再び月宮に戻るという話です。中国の嫦娥が月へ飛び立つ話とは異なり、この仙女は人間界の男女の愛情に執着せず、あたかも人間界で試練を受けるために来たようで、試練を経て月宮に帰還するという、非常に興味深い物語です。

 

かぐや姫が竹から生まれる

物語は日本の古代に遡ります。竹を切って生計を立てていた「竹取翁」(たけとりのおきな)という老人がいました。ある日、彼は竹林で金色に輝く竹を見つけました。好奇心から近づいてみると、竹の中にわずか三寸の美しい女の子がいたのです。子供がいなかった竹取翁とその妻は、この小さな女の子を家に連れて帰り、自分たちの娘として育てることにしました。彼女は光る竹から生まれたため、「かぐや姫」と名付けました。
 

貴族の求婚を拒む

かぐや姫を家に連れて帰ると、すぐに成長し、比類ない美しい女性となりました。その後、竹取翁は、自分が伐採した竹から次々と金や宝物が出てくるのを発見し、家は裕福になりました。かぐや姫の美しさは広く知られるようになり、彼女の姿を一目見ようと多くの人々が訪れ、王公貴族たちがこぞって求婚しました。

両親はもちろん喜び、最も高貴な5人の求婚者を選びましたが、かぐや姫は自分の出自を知っており、この世の結婚には興味がありませんでした。彼女は誰とも結婚することを望まず、5人の求婚者それぞれに、伝説の珍しい宝物を探し出すという、ほとんど不可能な試練を課しました。

第一の求婚者は石作皇子で、彼は「仏の御石の鉢」を取ってくるように求められました。彼は偽って「見つけた」と言いましたが、かぐや姫に嘘を見破られ、失敗しました。

第二の求婚者は車持皇子で、彼は「蓬莱(ほうらい)の玉の枝」を取ってくるように求められました。彼は偽物の玉の枝を作りましたが、これもかぐや姫に見破られ、失敗しました。

第三の求婚者は阿倍右大臣で、「火鼠の皮衣」を取ってくるように求められました。彼は偽物を購入し、差し出しましたが、火にかけたところ焼けてしまい、失敗しました。

第四の求婚者、大伴大納言は「竜の首の珠」を取ってくるように求められました。彼は海に出て探しましたが、途中で嵐に遭い、命を落としかけたため、諦めざるを得ませんでした。

第五の求婚者は、宝物を探しに行った際に命を落としてしまいました。こうして、誰一人としてかぐや姫の課した難題を解決できず、皆求婚を諦めました。

 

天皇の求愛

日本の天皇(御門)もまた、かぐや姫の美しさを聞き、深く心を奪われました。彼は彼女に会おうと試み、愛を伝えましたが、かぐや姫は天皇の求愛を断り、敬意を保ちながら文通を続けました。最終的に天皇は、彼女を無理に嫁がせることを諦め、彼女を尊重する道を選びました。

 

かぐや姫の正体

時が経つにつれ、かぐや姫は自分がまもなく養父母と別れなければならないことを悟り、憂鬱な気持ちになるようになりました。竹取翁とその妻は彼女の様子を心配し、何が起きているのかを尋ねました。最終的に、かぐや姫は自分が人間ではなく、月の天人であることを告白しました。彼女は月の使者によって人間界に送られ、一時的にこの世に滞在していたのです。しかし、その時間が終わり、満月の夜に月に帰らなければならないというのです。この事実を知った竹取翁とその妻は、深い悲しみに包まれました。

 

かぐや姫、月に帰還

かぐや姫が月に戻る日が近づくと、天皇はこのことを知り、彼女が月の使者に連れて行かれるのを阻止するため、多くの武士を竹取翁の家に派遣しました。しかし、月の使者が現れると、人間の武士たちは抵抗する力を失いました。かぐや姫は竹取翁夫婦と天皇に別れの手紙を残し、永遠の命を授ける「不死の薬」を置いて去りました。彼女は天衣をまとい、すべての人間界での記憶を消し、月の使者と共に月宮へと戻っていきました。

 

天皇の後悔

天皇はかぐや姫からの別れの手紙と「不死の薬」を受け取った後、深い悲しみに包まれました。彼は永遠の命を得られる薬を飲まず、その薬を日本で最も高い山に持って行き、燃やすよう命じました。この山が「富士山」とされ、その薬が燃えた時に生じた煙が、富士山の噴煙であると言われています。

この物語は、中国の古代神話である「嫦娥奔月(じょうがほんげつ)」に似ていますが、かぐや姫は人間界に迷うことなく、自分が試練のために下界に来たことを理解していました。そして、情を断ち切って天へと戻り、人間界との縁を完全に断つという結末を迎えます。一方、嫦娥が月宮に昇った後、地上に残った彼女の夫、后羿は、中秋の夜に月を見上げて嫦娥を思い、再会を願いながら祭祀を行いました。こうした情感が中秋節の起源となりました。

しかし、日本のこの伝説には、再会などの要素はなく、むしろこの物語を通じて、人々に「この無常の世に執着せず、真の家は天にある」という教訓を伝えています。人生の最終的な目的は、天に帰ることであると示唆しているのです。

 

なぜウサギは餅をついているのか?

月とうさぎ(Shutterstock)

 

「ウサギが月で餅をついている」という話は、中国の嫦娥の伝説に由来していると考えられています。もともとは、月のウサギが杵と臼で不老不死の薬を作っていたとされ、その伝説が日本に伝わる過程で「ウサギが餅をついている」という形に変わったと言われています。薬が餅に変わった理由にはいくつかの説があり、一つは日本人が餅を好むこと、もう一つは「満月(望月)」が「餅月(もちづき)」という言葉と音が似ているためだと考えられます。

 

結語

物語がどのように変化しても、また日本と中国で文化がどのように異なっていても、毎年中秋節の夜、月を仰ぎ見ると、月にはウサギや仙女が住んでいるという伝説を思い出します。これらの神話は本当なのでしょうか? なぜ月に行っても人の姿は見えないのでしょうか? それは、おそらく月宮は私たちの目に見える月の表面の空間には存在せず、龍宮が海の底の目に見えない場所にあるのと同じように、月宮もまた別の時空に存在しているのかもしれません。

古代の神話が古くからの伝統的な祭りを作り出し、その祭りが世代を超えて神話を思い起こさせるのには意味があるはずです。それは、人と神との繋がりを思い出させる神伝文化の一つの形なのです。

 

(翻訳編集 華山律)

劉如
文化面担当の編集者。大学で中国語文学を専攻し、『四書五経』や『資治通鑑』等の歴史書を熟読する。現代社会において失われつつある古典文学の教養を復興させ、道徳に基づく教育の大切さを広く伝えることをライフワークとしている。