リスクに留意して、個人的に簡単にできることを試してみる。

ハーバード大学医学部の学生が30日間で卵720個を食べる、N=1科学のトレンドを浮き彫りにする

ハーバード大学の医学生であり、オックスフォード大学で生理学の博士号を持つニック・ノーウィッツさんは、1か月で720個のを食べるという健康実験を行い、注目を集めました。1日平均24個の卵を食べた結果、彼のLDLコレステロール(一般に「悪玉コレステロール」と呼ばれます)が18%減少したのです。

ただし、彼はこの実験を通じて、卵を大量に食べることを推奨しているわけではありません。長期的に実践する食事法としては適していませんし、この実験の科学的な背景も新しいものではありません。すでに、多くの研究で食事によるコレステロール摂取が血液中のコレステロールに大きな影響を与えないことが示されています。それでも、この話は瞬く間に広がり、卵をたくさん食べても大丈夫だと多くの人が解釈しました。

しかし、この実験の本当のメッセージはそれ以上のものです。

ノーウィッツさんの実験は、「N=1」研究と呼ばれる、個人の体験に基づく実験が注目されるようになった現状を示しています。1か月間で毎日卵を24個食べるという実験は、食事に関する複雑な問題をわかりやすく説明し、興味を引く方法でもありました。

これは従来の科学研究とは異なり、一般の人々が、自分の健康に対して、主体的にアプローチできる新しい形を示しています。

ノーウィッツさんは「この実験は卵の話ではありません。これは私自身と読者の皆さんへの社会実験であり、考えるきっかけを提供するものです」と述べています。彼のコレステロール値は減少しましたが、すべての人に同じ結果が出るわけではありません。特に、食事によるコレステロールの影響を強く受ける「ハイパーレスポンダー」と呼ばれる人は、異なる結果を得る可能性があります。

この実験の重要なメッセージは「自分に合った健康法を見つけること」です。
 

従来の研究が抱える限界

長年にわたり、ランダム化比較試験(RCT)は薬や医療機器、手術の効果を確認するための「標準的な方法」として使われてきました。RCTでは、大人数のデータを基に「平均的な効果」を見つけるため、人々にとっての幅広い有効性を確認できます。しかし、この方法では一人ひとりの個別の違いが見過ごされることも少なくありません。

たとえば、ストレスを感じていたり、食生活が不規則な人と、毎日運動をしている人では、同じ治療を受けても反応が大きく異なることがあります。これが、「一律のアプローチ」が抱える問題点であり、個々の健康状態の複雑さを十分に考慮できていない点です。RCTで「効果がある」とされる治療でも、実際には自分に合わない場合もあります。

ノーウィッツさんは、「RCTでは個別性が欠けてしまうため、結果として一部の人にしか効果がない治療法が推奨されることがある」と話しています。たとえば、コレステロールを下げる薬や血糖値を管理する薬なども、広範な集団で効果が認められていても、実際には一部の人にしか効果を発揮しないことがあります。

特に、代謝に関連する健康問題では、この傾向が顕著です。アメリカでは、12%未満の人しか「代謝的に健康」とされておらず、肥満や2型糖尿病などの病気は、遺伝や生活習慣によって治療効果が大きく変わります。ノーウィッツさんによると、効果があるとされる薬でも、4人に1人未満しか恩恵を受けられないケースが多いとのことです。

ノーウィッツさんは、今後の医療研究は一人ひとりに合った個別のアプローチが重要になると強調しています。

 

N=1 サイエンス
個別化された健康管理のアプローチ

「N=1サイエンス」とは、1人の参加者を対象にした実験で、個々の体質や健康状態に合わせたアプローチが可能です。従来の集団平均に基づく研究とは異なり、N=1実験は、特定の治療法や食事、運動がその人にどのように影響を与えるかを試しながら最適な健康管理方法を見つけるための手段です。

スタンフォード大学の遺伝学専門家であるマイケル・スナイダー教授は、「N=1は未来です。我々は皆異なっており、一人ひとりのデータを大量に集め、非常に具体的な推奨ができる時代です」と述べています。

個人が血糖値やコレステロール、体重などの健康データを追跡することで、食事の変更や運動、薬の影響を確認し、それに基づいて自分に合った対策を取ることが可能になります。例えば、過敏性腸症候群(IBS)を抱える人が特定の食品を排除する食事法を試すことで、膨満感や不快感などの症状を観察し、どの食品が症状を悪化させ、どの食品が改善につながるかを把握できるようになります。

スナイダー教授は、健康状態の基準値を知ることが早期の問題発見や健康維持に役立つと強調しており、「長期的なデータの追跡が鍵です」と述べています。N=1サイエンスは、個人が「市民科学者」として自分自身の健康管理を実験し、最も効果的な健康法を見つける力を提供します。自分の体に合った方法を試行錯誤しながら、より良い選択をしていくことができるのです。

 

テクノロジーが個別化された実験を支える

N=1サイエンスの成長は、主にテクノロジーの進化によって推進されています。以前は、個人の健康データを追跡するには専門的な機器やラボでの検査が必要でしたが、現在では、自宅で簡単に健康状態をモニタリングできるデバイスが普及しています。例えば、OuraリングやFitbit、連続血糖モニターのようなデバイスは、日常的に健康データを収集し、リアルタイムで健康状態を確認することが可能です。

連続血糖モニター(Shutterstock)

 

ウェアラブルデバイスは、睡眠パターンや心拍数などを記録し、MyFitnessPalやCronometerといったアプリは、食事の記録や栄養素の摂取量を追跡できるようにしてくれます。このようにして、常に流れるデータによって、個々の健康に関する意思決定がより正確になり、リアルタイムのフィードバックを基に、対策を調整することができるようになっています。

重要な革新の一つとして、自宅で実施できるラボテストの普及があります。血糖値、コレステロール、炎症などのバイオマーカーを測定するホームテストキットを提供する企業、InsideTrackerやEverlyWellなどが、個々の健康状態に関する詳細な洞察を提供しています。

これらのテクノロジーが進化するにつれて、個別化された実験を行うためのハードルがどんどん低くなり、N=1サイエンスはより多くの人々にとって身近なものになりつつあります。

 

誰もが科学にアクセスできる時代

ノーウィッツさんの卵を使った実験は、単にコレステロールに関する研究ではなく、デジタル時代における科学の伝え方に関する実験でもありました。彼はYouTubeなどのプラットフォームを活用し、自分の体を使った日常的な実験を、誰もが興味を持って見られる物語として発信しました。

このアプローチにより、科学がわかりやすく親しみやすい形で伝えられ、多くの人々に「自分でも健康に関する実験をしてみよう」と思わせるきっかけを提供しています。

実際、多くの人は新しい食事法や運動、断続的断食などを試しているものの、それを「実験」とは認識していないかもしれません。ノーウィッツさんによれば、もう少し計画的に取り組むことで、これらの個人的な試みが価値のある科学的な実験になる可能性があるといいます。健康に関して「試行錯誤」の姿勢を取り、さまざまな戦略を試し、その結果を測定しながら調整していくことが重要だと彼は強調しています。

ノーウィッツさんの活動は、科学をより身近にするという大きな文化的変化の一部です。研究者たちは、ソーシャルメディア、ポッドキャスト、ビデオプラットフォームを通じて、従来の学術機関を通さずに、直接一般の人々に研究成果を伝えるようになってきています。このようなアプローチによって、学術雑誌を読むことがない人々でも、科学に触れ、理解を深めることができるようになってきているのです。

 

N=1サイエンスのリスクと課題

N=1サイエンスは、個人の体験に基づいた貴重な洞察を提供するものの、その限界や潜在的なリスクにも目を向ける必要があります。特に、個人的な研究結果を他の人々と共有する際に生じる課題がしばしば存在します。

ソーシャルメディアは科学を身近にし、多くの人々が科学に触れるきっかけを作りますが、同時に複雑な健康情報が過度に簡略化されたり、センセーショナルに伝えられるリスクも伴います。ノーウィッツさんも、大胆な実験が公に発信されると、それが誤解されたり、歪められたりする可能性があることを認識しています。キャッチーな見出しが、複雑な研究結果を簡単なメッセージに圧縮してしまうことも少なくありません。

「一度情報が公開されると、その内容を完全にコントロールするのは難しい」と彼は述べており、正確な解釈の責任は一部、社会全体にもあると認めています。

また、N=1サイエンスは、従来のランダム化比較試験(RCT)のような厳密な管理やコントロールがないため、プラシーボ効果実際には有効成分を含まない偽の治療(プラシーボ)を受けても、患者の病状の改善や症状の軽減を感じる現象)バイアス(データの収集や分析、解釈の過程で、意図的または無意図的に結果が偏ったりめられたりすること)、その他の要因によって結果が左右されやすく、明確な結論を引き出すのは困難です。

このため、N=1サイエンスは、従来の研究方法を補完するものであり、取って代わるものではないと考えられます。ノーウィッツさんのような科学者は、この微妙なバランスを取りながら、ソーシャルメディアを科学普及のツールとして活用しています。彼が強調するのは、健康について好奇心を喚起し、批判的な思考を促すような意味のある対話を人々と交わすことの重要性です。

 

N=1サイエンスの進展を阻む財政的な壁

N=1サイエンスや個別化医療に対する関心が高まっている一方で、その進展を妨げる大きな要因の一つが資金の問題です。従来の医療研究の枠組みでは、大規模な製薬会社がスポンサーとなる研究が優先され、食事や運動などのライフスタイルを重視した個別化されたアプローチはあまり注目されていません。

2019年、アメリカ国立衛生研究所(NIH)は栄養研究に約19億ドルを割り当てましたが、その多くは食事やライフスタイルに関する研究を含みました。これに対して、製薬やバイオメディカル研究には何十億ドルもの資金が投入されており、資金配分の差は依然として大きい状況です。特に、食事や運動などのライフスタイルの変化が、2型糖尿病などの慢性疾患を予防・改善できるという証拠が増えているにもかかわらずこうした分野の研究は十分に支援されていません。

ノーウィッツさんは、「食事で糖尿病を改善する方法を教えても、誰が儲かるでしょう?」と問いかけます。製薬会社は薬を開発・販売することで利益を得られますが、ライフスタイルの改善を中心とした介入には、同様の利益モデルが存在しないため、代謝健康などの分野は、薬の開発に比べて後回しにされる傾向があるのです。

ノーウィッツさんは、こうした資金調達の課題を強く意識しており、現代の資金調達の現実に、適応する必要があると考えています。彼は「論文を発表しても誰も読まなければ、発表した意味があるのでしょうか?」と述べ、従来の学術的な道筋、つまり論文発表や引用に頼るだけでは、十分な支援を得るのが難しいと指摘しています。特に、ライフスタイル医学のような資金が不足している分野では、科学者は注目を集め、資源を引き付けるために創意工夫が必要だというのです。

ここで、ソーシャルメディアを活用した社会的な関わりが重要になってきます。ノーウィッツさんは、自分の実験をバイラルな話題(インターネット上で非常に瞬間的に急速に広まり、人気の高い話題やコンテンツ)にすることで、それまで支援されなかったかもしれない研究に対して、潜在的な資金提供者の興味を引けるかもしれません。

「私のような20代の若者が、NIHから1000万ドルの代謝研究資金を得るのは難しいでしょう。しかし、ソーシャルメディアで影響力を持ち、私の活動を評価してくれる個人のドナーから資金を得ることは可能です」と彼は語ります。

 

720個の卵実験の詳細

ノーウィッツさんは、極端な量のコレステロールを摂取した場合、LDL(「悪玉コレステロール」)にどのような影響があるかを調べるため、30日間にわたり、1日24個の卵を食べるという実験を行いました。合計で720個の卵、約13万3千ミリグラムのコレステロールを摂取しました。1日あたりほぼ1時間ごとに1個の卵を食べる計算です。

最初の2週間は、炭水化物をほとんど摂らない低炭水化物・高脂肪の食事を続け、ケトジェニックダイエットに近い食事内容でした。この時点では、コレステロールの摂取量は非常に多かったものの、LDL値はわずか2%の減少にとどまりました。これは、食事によるコレステロール摂取が大多数の人にとって血中コレステロールに大きな影響を与えないという既存の研究結果と一致しています。

後半の2週間では、1日60グラムの炭水化物を果物(バナナやベリー類)から追加しました。このわずかな炭水化物の追加によって、1か月の終わりには、LDLが18%も減少しました。

ノーウィッツさんは、「リーンマス・ハイパーレスポンダー」と呼ばれる小さな集団に属しており、このグループは低炭水化物ダイエットを行うとLDLが高くなる傾向があります。

この実験では、自分の体が極端なコレステロール摂取にどう反応するかを調べました。リーンマス・ハイパーレスポンダーは通常、LDLが上昇しやすい一方で、HDL(「善玉コレステロール」)が高く、トリグリセリド(中性脂肪)が低いという代謝パターンを持っています。しかし、彼の実験結果は、わずかな炭水化物を摂取するだけで、このグループにおいてもLDLが大幅に減少することを示しており、個々の代謝反応における食事の影響について新たな知見をもたらしました。

 

N=1サイエンスを生活に取り入れる方法

N=1サイエンスのアプローチは、研究者や医療専門家だけでなく、誰でも実践できるものです。食事、運動、薬の変更に対して自分の体がどう反応するかを注意深く観察することで、自分の健康の旅を、科学者のように管理できるようになります。

ノーウィッツさんは「科学は、正式な教育を受けた人だけに与えられるものではありません。科学は、すべての人が関わることのできるプロセスです」と語っています。

以下のシンプルなフレームワークを使って、自分の健康に関する実験を始めてみましょう:

目標を定める
改善したい具体的な健康面を特定します。例えば、「膨満感を軽減したい」や「睡眠の質を向上させたい」などが目標になります。

仮説を立てる
どのような変更が改善につながるかを予測します。例えば、「乳製品をやめることで消化が良くなるのではないか」と仮説を立てます。

介入を選ぶ
仮説をテストするための具体的な行動を選びます。たとえば、1か月間乳製品を摂らないという方法です。

データを記録・収集する
日記やアプリを使って、症状や健康に関するデータを追跡します。主観的な感覚(体調の変化)だけでなく、血糖値などの客観的なデータも収集すると効果的です。

日記やアプリを使って、症状や健康に関するデータを追跡(Shutterstock)

 

結果を評価する
一定期間後、記録したデータを見直します。症状は改善しましたか?仮説が正しかったかを確認します。

戦略を調整する
結果に基づいて、戦略を修正します。うまくいった変更を継続するか、効果が見られなければ別のアプローチを試します。このプロセスを繰り返して、自分に最も合った方法を見つけましょう。

 

安全な実験のためのアドバイス

個人的な実験を始める前に、医師に相談することをおすすめします。医師は、介入前後の重要な健康指標を測定することで、安全に実験を進める手助けをしてくれるでしょう。

 

新世代の「市民科学者」を育む力

N=1サイエンスの台頭は、医療研究の方法だけでなく、私たちの健康に対する考え方そのものを変える大きな変化をもたらしています。個別化されたアプローチを採用することで、個々人が、自分の体に最も効果的な方法を発見できるようになり、慢性疾患の管理から全体的な健康の最適化まで幅広く活用できるようになります。

ノーウィッツさんは「最高のアプローチは一つではない」と述べつつも、「誰でも代謝健康を達成できる」という力強いメッセージを伝えています。

彼が思い描く未来は、無数の個人実験の結果が孤立したものではなく、コミュニティ全体で共有され、つながっていくものです。もし、個々の実験結果が簡単に集約され、分析され、比較できるようになれば、現実世界から得られる膨大なデータベースが作られ、従来の研究を超えたスピードで医療発見が進み、健康ソリューションの改善が実現できると考えています。

テクノロジーの進化や市民科学の広がりに伴い、専門研究者と一般の人々の間の境界線はますます曖昧になりつつあります。科学はもはやラボに限られたものではなく、自分の健康に興味を持ち、観察し、実験しようとするすべての人々の手にあるのです。このような文脈で、ノーウィッツさんは、N=1サイエンスが個別化された医療の未来に向けた鍵となる可能性があると語っています。

「あなたの人生そのものがN=1の実験です」と彼は強調します。

 

(翻訳編集 華山律)

10年にわたる執筆キャリアを持つベテラン看護師。ミドルべリー大学とジョンズ・ホプキンス大学を卒業。専門知識を取り入れたインパクトのある記事を執筆している。バーモント州在住。3人の子を持つ親でもある。