火災前のペンゲリー&カンパニー家具工場の内部。南オーストラリア州立図書館、パブリックドメイン

科学と自由 コントからサミュエルソンまでの社会物理学

1933年に、フリードリヒ・ハイエクは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで行った「経済思想の傾向」と題する講義の中で、経済思想が計画主義と介入主義にシフトしていることを指摘した。彼は、ドイツ歴史学派と制度学派がこの傾向に大きく貢献したと主張した。しかし、実際に、その後の計画主義と介入主義の基礎を築いたのは、新古典派理論の形式主義そのものであった。

1910年代から1920年代にかけて、ハイエクと彼の師であるルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、新古典派経済学の伝統に属しており、「形式主義」そのものが経済思想の転換を引き起こしたという見解は、ピーター・ベトケが「ハイエクが誤ったところ」と指摘する点である。ハイエクは、同時代の経済学の主流から取り残されつつあった。かつては、イギリスで最も引用される経済学者の一人だったが、戦後には、彼の研究が経済学として成立するかどうかすら疑問視する学者もいた。

その最も象徴的な例が、彼がノーベル賞の講演原稿を『エコノミカ』誌に提出した際、編集部から修正を求められたという出来事だった。市場原理から計画原理への転換は、なぜ起こったのか。それは当時の支配的な知的勢力、すなわち常に共存する傾向にある「科学主義」と「国家主義」である。

▶ 続きを読む
関連記事
トランプ氏と習近平の会談は大きな演出の一方で実質成果は限定的だ。経済分野に一定の合意は見られたが、台湾・AI・地政学では進展なし。台湾問題を巡る発言が波紋を呼ぶも、米国の基本姿勢は現状維持と抑止にある
新たな国際的感染症としてハンタウイルスとエボラが同時に警戒される中、非常に高い致死率であるため、感染経路や拡大リスクに注視。パンデミックになるのか
1989年に起きたことは、北京だけで終わったわけではない。そして、それは中国国内だけに限定されるものでもない
中国による突然の「対日批判」。現代の中国で起きている政治家たちの権力争いや失脚の裏側を、毛沢東時代の「文化大革命」の歴史と重ね合わせながら浮き彫りにする
米議会で提出された、チベットでのジェノサイド認定を求める超党派法案と、トランプ氏によるジミー・ライ救出への意欲を報じる。中国の弾圧に対し、米国が人権と経済の両面からどう対峙すべきかを問う解説記事