栄養学博士のシーナ・マッカロー(Sina McCullough)と共に、食と健康の真実を探りましょう。科学者としての知識とジャーナリストとしての直感を併せ持つシーナは、健康で幸せ、そして自由に生きるための事実と洞察を私たちに提供してくれます。
出産が、まさか天国の一端を見せてくれるなんて想像もしていませんでした——娘の命を救うために、あの橋を駆け抜けるまでは。
人間の経験について、私たちがまだどれほど知らないか、そして科学だけでは説明しきれない神秘的な世界が存在するかもしれないことに、私は気づかされたのです。
私の物語:橋を駆け抜ける
私は自宅で、約4kgの女の子、トリニティを出産しました。喜びに満ちた瞬間でした——彼女の目が虚ろで、泣かず、瞬きもせず、動かないことに気づくまでは。
そのとき、体に激しい痛みが走りました。これまで経験したどの陣痛よりもひどいものでした。瞬く間に大量出血し、意識を失いました。
そして次に起こったことは、私の想像をはるかに超えるものでした。
私は橋を全力で駆け抜け、最近亡くなった母と継父に向かって走っていました。彼らはこれまで見たこともないような、輝きに満ちた自然の中に立っていました。鮮やかな色彩、荘厳な木々、そして金色の光。そこには恐れが一切なく、ただ静寂と安らぎだけがありました。
母はトリニティを抱き、二人とも穏やかな表情で、まるで私を待っているかのようでした。なぜかわかりませんが、娘が生き残るためには急いでそこに行かなければならないと直感しました。
橋を力の限り駆け抜け、ようやく彼らのもとにたどり着き、「今すぐ赤ちゃんを返してください!」と叫びました。継父は微笑みながら「わかっているよ」と言い、母はトリニティをとても優しく私に手渡しました。
すぐに踵を返し、走って戻り始めました。しかし、橋は目の前でどんどん消えていき、インチ単位で道が消えゆくのです。その消えていく道を飛び越えながら、赤ちゃんを腕に抱えたまま、私は床の上で目を覚ましました。
息を切らしながら、私はかすかに声を出しました。「赤ちゃんはどこ?」
そのとき、隣の部屋から医師の声が聞こえました。必死に呼びかけるように。「頑張って、頑張って。できるよ。息をして!」
どんな困難にもかかわらず
ついに、トリニティが泣きました——静寂を打ち破る、輝かしくも心が震えるような泣き声でした。
それは、何分もの間反応がなかった彼女が初めて息をした瞬間でした。
その後の18時間、私は意識を失っては戻るを繰り返しました。私のヘモグロビン値は5g/dLという危険なレベルにまで急落しました——女性の正常値である12〜15g/dLを大きく下回っていたのです。医学的には、生存はほぼ不可能とされる状態でした。
それでも、なぜか私は輸血も医療的介入もなしで回復しました。
1週間後、分娩には関わっていなかった主治医を訪ねたとき、彼女は私の記録を見て首を振り、「これは奇跡よ」と言いました。「あなたは死んでいてもおかしくなかった」と。
トリニティも完全に回復しました。現在、彼女は4歳になり、元気に育っています。
科学が未知と出会うとき
臨死体験は、心臓発作、大量出血、脳卒中、脳損傷、溺水、酸素欠乏などの命にかかわる医療緊急事態の中で起こることがあります。重篤な状態に陥った成人の約半数、子どもでは最大85%がこのような体験をしています。多くの人が、体外離脱や平和な感覚、亡くなった人との出会い、トンネルやまばゆい光を見ると語り、それを夢ではなく現実だと感じています。
懐疑的な人々は、私の重度の出血が極度の生理的ストレスを引き起こし、それにより鮮明な夢のような体験や、私の信仰に基づいた幻覚が生じたのだと考えるかもしれません。その見解も理解できます。
科学者として、私はこれらの現象を「生物学的アーティファクト」。つまり、「酸素不足による神経化学物質の急激な分泌によって起こる幻覚」と説明するよう教えられてきました。
けれども、私が今もなお考え続けているのは「仕組み」ではなく、「タイミング」です。トリニティが初めて息をしたのは、私が意識を取り戻したまさにその瞬間だったのです。この一致は、どれほどの確率で起こり得るのでしょうか?
私にわかっているのは、それが今こうして生きているこの瞬間と同じくらい、確かに「現実」だったということです。そして、この感覚は私だけのものではありません。
臨死体験研究の第一人者であるブルース・グレイソン博士は、「人々はこの体験を、日常生活と同じくらい現実だと感じる」と報告しています。
一部の研究者は、臨死体験が肉体を超えた意識の一端を垣間見るものではないかと主張しています。
2001年には、オランダの心臓専門医ピム・ファン・ロンメル氏が、心停止から生還した344人を追跡する画期的な研究を発表しました。そのうち18%が、脳活動が停止し心臓も止まっている間に臨死体験を報告しています。この発見は、「脳の機能が停止すれば意識も消える」という従来の科学的理解に疑問を投げかけました。西洋医学の訓練を受けてきた私にとっては、想像を超えるものでした。
2014年の「AWARE(蘇生中の意識)」研究は、これまでで最大規模のこの種の研究であり、複数の国における2,000件以上の心停止症例を調査しました。その中には、臨床的に死亡していたにもかかわらず、蘇生中に起きた出来事や使用された器具を正確に説明した患者も含まれており、その詳細は医療スタッフによって確認されています。
これらの研究は、「意識は脳の機能だけに限定されないかもしれない」という可能性を示唆しています。それは、私自身が死を間近にするまで深く考えることのなかった問いでした。
新しい視点
臨死体験は、意識の変容状態から生じたものであれ、生化学的現象から生じたものであれ、深い人生の変化をもたらすことがあると報告されています。体験者の多くが、次のような持続的な視点の変化を語っています:死への恐怖の軽減、人生の目的の再発見、深い慈しみの心、今この瞬間への強い集中、そして人生そのものへの深い感謝。
これは、まさに私自身にも当てはまります。
私の臨死体験は、トリニティの命を救っただけでなく、私自身の生き方を根底から変えてくれました。
私はもう死を恐れていません。なぜなら私は、「天国」——光と愛、そして愛する人々で満たされた場所——を見たからです。
母と継父がいつも見守ってくれていると感じる今、私は孤独を感じることがありません。
今の私は、すべての呼吸、すべての日の出、この美しい人生のすべての瞬間に、深い感謝の気持ちを抱いて生きています。
ドラマや成功への執着に、もはや私の人生の居場所はありません。会社での昇進を気にしたり、近所の誰かと競い合うようなこともなくなりました。
私の関心は、人とのつながりに向いています。今この瞬間を大切に生き、愛する人たちに「そのままで大切だよ」と伝えることに集中しています。
トリニティが裏庭で蝶を追いかけている姿を見るたびに、私は思い出します。一瞬、あるいは20分間の静寂の中にも、奇跡は起こり得るのだということを。
私の臨死体験が、生化学的な幻覚だったのか、一時的に高次の次元に触れた経験だったのかにかかわらず、それは私にこう教えてくれました——科学だけではすべての答えを得ることはできず、また得るべきでもないということを。信仰、直感、そしてスピリチュアルな探求もまた、真実を探す旅の中で大切な役割を持っているのです。
結局のところ、科学はまだ「あの世」へと続く橋を架けてはいません。それでも、その橋を駆け抜けて戻り、私たちに語りかける人たちがいます。その証言は、何よりも力強いのです。
この記事で表明された見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
(翻訳編集 日比野真吾)
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