なぜ国境管理が必要なのか
この文章を書くのは正直つらい。私自身今までずっと「国境を開くべきだ」と信じてきた。その立場を文章や講演で広めてもきた。けれど、今はその考えを完全に否定している。だからこそ、自分がなぜ考えを変えたのかを説明する責任があると思う。ここでは、現実から乖離したイデオロギーが、どれほど真面目で知的な人間をも不条理な方向へ導くのか、その一例として読んでもらえればと思う。
筆者が「国境開放」を信じるようになったのは大学時代だ。米国にはすべての人を受け入れる能力と道徳的義務があると信じていた。確かに移民の波は社会的・経済的・人口的な混乱をもたらす。だが、自由な人々と自由な制度があれば、それは乗り越えられるものだと思っていた。
自身の歴史理解もこの考えを裏づけているように見えた。歴史をたどれば、米国は移民の国であり、自分のルーツも植民地時代の初期にまでさかのぼる。祖先はテキサスに移り住み、その後のドイツ系移民の波を受け入れる道を切り開いた。19世紀後半、米国は膨大な数のアイルランド人とイタリア人を受け入れたが、1920年代初頭に国境を閉ざし、その結果は悲劇的だった。筆者には、国境を開く以外の政策を取る理由が見えなかった。
関連記事
論語・学而篇の第二章を紐解き、「孝弟」こそが仁の根幹であり家庭と国家の安定の礎であることを解説。現代の歪曲を正し、先賢の普遍的な教えと徳育の重要性を問い直す
京都の小道に佇む、錆びた鉄の箱と無人販売所。それは単なる集金箱ではなく、人の善意を信じる「仮定」そのもの。孔子の教えを引き合いに、当たり前すぎて気づかない日本の「信」の文化を鮮烈に描くエッセイ
混迷の時代にこそ読み解きたい『論語』の真髄。孔子が「学而篇」の冒頭に込めた、真の学びと徳を積む生き方とは。現代教育が忘れ去った「人間としての根本」を紐解く
なぜ知識人は過激な理想郷に魅了されるのか。人間の「善意」や「正義感」が持つ構造的な弱点を見つめ直し、情報に流されない冷徹な判断力の必要性を説く。現代のSNS社会にも通じる、足元の危機を炙り出す論考
中共は金融危機後、日本の主要企業に分散投資し産業中枢へ浸透。背後に主権ファンドや情報機関の関与が指摘され、技術獲得と影響力拡大を狙う長期戦略が浮き彫りとなる