【モンゴル「草点」便り】モンゴルオペラ
【大紀元日本12月15日】今年8月、小泉首相が建国800年祭のモンゴルを訪れオペラを鑑賞しました。そして旧ソ連に抑留されてモンゴルで亡くなった日本人の慰霊碑にお参りし冥福を祈りました。
モンゴルにはアジアで最も古いモンゴル国立オペラ劇場があります。ウランバートル近くの収容所から駆り出された何千人もの日本人抑留者によって、半世紀以上も前に建設されたものです。モンゴルオペラと日本人との間には意外なつながりがあったのです。
モンゴルオペラの出し物に「蝶々夫人」もあって、日本人オペラファンを唸らせています。今年の建国祭記念行事の一つとして7月15日に演じられたモンゴルオペラ「チンギス・ハーン」で、日本人ソプラノ歌手・奥山由美さんがヒロインとなったことはあまり日本では知られていません。奥山さんは山形放送の女性アナウンサーを経て一旦は断念した歌手への道を再開し、中国国立中央音楽学院に留学して研鑽を重ねました。
留学中にウランバートルのオペラ劇場に導かれるように訪れたのがきっかけで、今は1年の半分近くをモンゴルで過ごしています。1999年にモンゴルオペラの最高傑作「悲しい三つの丘」のプリマドンナとして外国人として初めて抜擢され出演デビューを果たし、以後モンゴルオペラ劇場で活躍する日本人スターとしてモンゴルでそして山形で注目を集めています。横綱朝青龍の結婚式でオペラ「チンギス・ハーン」の挿入歌・愛のデュエットを披露したニュースも話題の一つとして伝えられました。奥山さんの活躍もあってモンゴルオペラは次第に、日本人に近しいものへと引き寄せられて来ました。
さらに地道ながらサンデープロジェクトのコメンテイターを時々務めている、インサイダー編集長の高野孟(たかの・はじめ)さんの「モンゴル嵌まり込み日記」に蒙古歌劇満喫旅行団爆遊記が綴られていて、モンゴルオペラへの熱風のような勧誘が開始されてもいました。オペラ作曲家の三枝成彰さん、ルンルン作家の林真理子さん、ぴあ社長の矢内廣さんら一行が創樹社の山川泉さんのガイドで、1998年の5月の連休に第1回のモンゴルオペラ鑑賞ツアーを決行しています。
高野さんは以後参加者を募って(2回目は50人、3回目は35人)通算3回の連続ツアーを実現しています。高野さんたちが実行したモンゴルオペラ鑑賞ツアーが伏流水となって、いつかぶち上げた日蒙オペラ芸術交流が本格化する日を待ち遠しく思っている人もきっと多いことでしょう。
オペラは歌手が台詞を歌って物語を展開していきます。かつてこんな風景がどこでも見られました。鬱蒼とした森の中にある小高い丘に木漏れ日が根元に落ちかかる辺り、一本の神聖な巨木が聳え立っています。巨木の傍に一人の歌姫が真っ直ぐに立ち静かに周りの生命の息吹を吸い込んでは吐き出すように、リズミカルに舞いつつ声をさながら歌うように放っています。それは光に似た輝くような声の抑揚を周りにいる人々に及ぼし、歌姫を取り囲んで彼女の声を吸い込んで魂の昂揚を体験する喜びを通じて、神々の思いが流し込まれてゆきました。
こうして歌を聴くことが神々と交流する体験と同じことであった時代の名残が、オペラとして17世紀イタリアの長靴のような半島で新たな足跡を築き始めたのです・・・そしてアジアでロシアの霊性の影響を色濃く受けたモンゴルオペラが発達し、やがていつかモンゴルオペラブームの中から、21世紀の日本オペラが八百万の神々に手渡す一つの回答を手にすることになるでしょう。日本人抑留者を偲ぶ夕べのオペラが日本で上演される、その日はきっと来るでしょう。