【大紀元日本4月21日】昨年の今頃、パーキンソン病を患っていた知人が亡くなりました。実はこの知人、数年前に最愛の息子さんを事故で亡くしており、その一月後に会ったときの変わりようといったら……。多少不自由ながらもしっかり自分の足で歩いていたのが、電動車イスに変わり、髪は真っ白で、好きだったジョークも出なくなっていました。この『遊子吟』を詠ずるたびに、その知人を思い出します。
遊子吟 唐・孟郊
慈母手中線 慈母 手中の線
遊子身上衣 遊子 身上の衣
臨行密密縫 行(こう)に臨みて 密々に縫う
意恐遅遅帰 意に恐る 遅々として帰らんことを
誰言寸草心 誰(たれ)か言う 寸草の心
報得三春暉 三春の暉(き)に報い得んと
(日本語訳)
慈愛深い母は、針と糸を手にして、
遊学に旅立つわが子の服を縫っている。
旅立ちに臨んで、密に縫っているのは
帰りが遅れるのではないかと案じているからだ。
いったい誰が言うのだ、子が親を思う心が
子を思う母の慈愛に報いることができるなどと。
(いくら子供が親を思っても、親が子供を思う心にはとても及びはしないのだ)
【ひとこと】
作者の孟郊は、58歳でやっと進士の試験に合格し、小役人になったと言われる。この詩は、浪人生活を送っていた50余歳で詠んだもので、母の慈愛への感謝とそれに報いることのできない切ない真情がしみじみと詠じられている。
(智)
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