楓(カエデ)も紅葉(モミジ)も、植物の分類上は同じものであるらしい。葉の切れ込みが深いものがモミジ。浅いものがカエデであるという。
カエデは「カエルの手」に似ていることからきた和名である。
中国では、カエデに当たる植物は槭(セキ)であり、楓(フウ)は別の種類になる。もちろん中国の楓も晩秋から紅葉するので、日本人の印象を大きく変えることはない。
さて、それが日本人の知るカエデであるか否かはさて置き、「楓」という文字に、日本人は昔から親しんできた。
唐の張継(ちょうけい)の名詩「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」の前半に「月落烏啼霜満天、江楓漁火対愁眠(月落ち烏啼いて霜天に満つ。江楓漁火、愁眠に対す)」がある。
このとき詩の作者は、蘇州郊外の大運河に停泊した船中にいる。
「霜満天」について、よく漢詩の解説書では「霜がふるような夜の冷気が満ちている」などと説明されるが、どうも漢詩に不可欠なリアリズムに欠ける。これはおそらく、霜のように細かい星が夜空いっぱいに出ている実景であろう。
いずれにせよ、月が落ちた闇夜なのだ。漁師の灯火で、岸辺の「楓」が見えるわけはない。ならば、ここで張継の五感に響いたものは何であろうか。
中国の楓(フウ)には、独特の香りを放つ樹脂があるという。一つの推測だが、この漢詩のなかで、張継は視覚ではなく、嗅覚で「楓」を感知したのではないか。日本のカエデに、同様の香りがあるとは思われないが。
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