垣根の垣根の曲がり角。たき火だたき火だ、落ち葉焚き。あたろうか、あたろうよ。北風ぴいぷう吹いている。
童謡『たき火』が発表されたのは昭和16年。ラジオで広く知られるようになったのは、戦後の昭和24年ごろからだと言う。
記憶をたどってみると、例えば東京であっても、昭和中期(40年代前半)までは街角で「たき火」をして家庭ゴミを処理することを、大人たちはよくやっていた。小学校帰りの子供たちが見つければ、わっと歓声を上げて走り寄ったものである。
ただし現代と決定的に違う点は、たき火ができる土の地面が東京にもあったこと、ダイオキシンの有害性について全く無知であったこと、などが挙げられる。
『たき火』の2番の歌詞に、山茶花(サザンカ)が出てくる。咲く季節は、北風の冷たい初冬。山茶花の漢字は「さんさか」と読むべきであるが、音声の転倒現象でサザンカになったらしい。
ダイオキシンを出してはいけないが、今の子供たちが、学校帰りに「たき火」を囲む体験ができないとすれば、やはり寂しい。歌詞のなかにある「しもやけお手てが、もうかゆい」の意味が、今の子に分かるだろうか。
霜焼けは、寒さのため血行が悪くなっただけなので心配はいらない。ただし、この霜焼けをストーブなどで温めると、すさまじく痒くなるのだ。
そういえば剣道の寒稽古の後、足をこたつに入れたら、水虫でもないのに大変なカユさに襲われて悶絶した。冬の楽しい思い出である。
(鳥飼 聡)
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