【北京コレクション】(4)明清時代の胡同と四合院=北京郊外①
【大紀元日本6月8日】北京の街から西へ90キロいったところに、“爨底下”(cuàn dǐxià)と呼ばれる村があります。明の永楽年間(1403~1424年)に山西から移住してきた人たちによって造られたと言われ、すでに500年以上の歴史を持ちます。
“爨”とは「かまど」のことですので、“爨底下”とは「かまどの下」ということになりそうですが、山西から人々が移住してきたとき、山の上に“爨里安口”と呼ばれる軍事拠点があり、その下にできた村なので、“爨底下”と呼ばれるようになったとも言われています。
ただ、“爨”の字は“興林大火”を縦に並べた形をしており、あまりにも画数が多いので、1958年に発音の似た“川chuān”の字に改めさせられ、今は一般に“川底下村”と呼ばれているそうです。
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