【大紀元日本9月25日】20数年前、山口県の片田舎に住んでいたときのことである。洗濯物を外に干したまま出かけたところ、途中で雨が降り出した。洗濯のやり直しだと思いながら家に帰ってみると、洗濯物がない。しばらくして向かいのおばさんが、「濡れたらいけないから取り込んでおいたよ」と言って持って来てくれた。なんともありがたいことであった。
こんなことは、田舎育ちの人にとって当たり前だが、都会ではうっかりそんなことはできない。良かれと思って隣の敷地に入って洗濯物を取り込んであげたりしようものなら、口でこそ感謝されるが、まちがいなくお隣さんの「疑心暗鬼」を招き、その後は事あるごとに警戒され疑いを持たれるに違いない。なんともさもしい世の中になってしまったものだ。
昔々、大切な斧を無くした人がいた。ふとしたことから、隣の子が盗んだのではないかと思うようになった。それ以来、その子のしぐさが斧を盗んだ人のように見えてくるし、顔つきや言葉遣いもすべてがそのように思えてきた。
ところがある日、ふと思い当たることがあり、山に行って見ると、窪地に斧が置かれたままだった。自分で置き忘れてきたのだった。
それ以来、隣の子のしぐさも顔つきもまったく、物を盗むような人には見えなくなった。
これを「疑心、暗鬼を生ず」という。
(『列子』説符の注解より)
「暗鬼」とは暗がりの中に見える鬼のこと。疑いの心があれば、妄想から、いるはずもない鬼が暗がりの中に現れてくるということである。
(瀬戸)
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