【大紀元日本9月11日】某有名進学校では、トップクラスの国立大学に入るのが当たり前で、そこに入れなかった人は「おちこぼれ」。同窓会でも肩身の狭い思いをするのだという。知り合いが息子さんの体験談として話していた。
ただ、いわゆる一流大学に入ったからといって、どれほどの知恵があるというのか。偏差値が10点高い学校に受かったからといって、そうでない人を見下すほどに森羅万象に精通した博学であるというのか。寸分たがわぬ精巧な宇宙を創り上げた神の叡智(えいち)に比べれば、どちらも「五十歩百歩」である。
中国の戦国時代、魏の恵王が孟子にたずねた。
恵王「わたしは常日頃から民のことを思い、善政を心がけてきたのに、なぜ他国の民が魏を慕って移って来ないのか」
孟子「戦いを喩えにお話しましょう。今、まさに太鼓をたたいて、戦いを始めようとしたところなのに、鎧を脱いで逃げ出した者がいます。ある者は百歩逃げて止まり、ある者は五十歩逃げて止まりました。この時、【五十歩の者が百歩の者を(臆病者だと)笑った】ならば、いかがでしょうか」
恵王「それはダメだ。五十歩の者も逃げたことに変わりはない」
孟子「この道理がおわかりなら、王は、魏の民が他国より多くなることを望むべきではないでしょう」
こう答えた後、孟子は、恵王は善政を行ってきたというが、実はまだまだ不十分で、他国と比べて「五十歩百歩」、大差ないのだと諌め、その上で自らの考える王道を恵王に唱えた。(『孟子』より)
この故事の【 】でくくった部分の中国語原文は「五十歩笑百歩」で、日本語では「笑」の字が取れて、「五十歩百歩」として定着した。
(瀬戸)
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