東京・小石川後楽園:和漢の才人 水戸光圀と朱舜水

【大紀元日本11月1日】奈良朝において日本は、国家の大事業として遣唐使を派遣し、国政の基盤となる律令制度を唐に学んだ。

もちろん、日本が中国文化を受容したのは奈良・平安朝だけではない。鎌倉時代には、国交はなかったが、中国大陸の宋・元との間で交易がおこなわれていた。民間による私貿易であるため物品交易が主であったのだが、特筆すべきはその往来のなかで芸術や文化も確実に伝わっていたということである。

江戸期に入ると鎖国政策が採られたが、長崎だけは海外への窓が開かれていた。江戸初期、中国では漢民族の明朝が倒れ、北方の満州族の清朝に代わろうとしていた。そんな折、万治2年(1659年)に長崎に亡命してきた中国人のなかに、明の遺臣で儒学者の朱舜水(1600~1682)がいた。

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