【呉校長先生の随筆】 ー盆栽の話ー

【大紀元日本12月20日】我が校の芸術顧問であり芸術・人文の授業を担当する廖(りょう)先生は、美術と陶芸に造詣が深く、優れた文化人でもある。自由な発想をモットーとする廖先生は、学校で設けている知的障害者のための特別教育クラスもみている。

廖先生からみれば、このクラスの生徒8人は、それぞれ素晴らしい美術の才能を持ち合わせている。「この大胆な色使いは、作者の豊かな感性と感情を十分に表す心の世界である」とか、「思いっきりスパッと描くラインは天才的だな」とか、廖先生はいつも子どもたちを褒めまくるのだった。

新学期が始まって1カ月ほど経った頃、廖先生が中国の唐の時代の衣装を身にまとい、手に盆栽を載せて悠々と私のオフィスに入って来た。彼は、この盆栽を私にプレゼントしたいと話す。

廖先生は、「この目立たない植木鉢は教育関係者の平淡で素朴なイメージを象徴しています」と話しながら、私の派手な花柄のネクタイをちらりと見た。「盆栽の真ん中にある高さ30センチほどの胡椒(こしょう)の花は、緑に茂り真っすぐに伸びて、とても注目を引きます。学校を例にして言えば、このような生徒は十分の一にも満たないでしょう」と話した。

廖先生は続けて、「もう1本、土の中から斜めに成長した胡椒の花ですが、この幹は他のものと同じように生き生きしています。これは学校教育に例えれば、一部の生徒が必要としているのは先生たちの理解と指導であり、矯正ではないということです」と語った。私は、しまったと思った。私は先ほど2人の生徒たちの間違いを「矯正」したばかりだったのだ。廖先生は私のことを直接指摘した訳ではなかったが、そのするどい言葉に思わずビクついた。廖先生はさらに、「2本の胡椒の花の左側にある平らな石は盆栽の中でも最も重要なセクションです。学校の中には、多かれ少なかれ指導の難しい少数派の生徒がいますが、彼らは実は、先生たちの忍耐力と専門性を試すための存在なのです」と語った。先生の話を聞きながら、いろいろな考えが私の頭の中をよぎった。専門的であればあるほど、難しい問題なのだ。

廖先生はお茶を一口すすり、持ってきた小さい箱の中から注意深く苔の小片を取り出し、盆栽の隅に植えた。「この小さい苔は来年の今頃までに、盆栽の表面を隅から隅まで覆い尽くします。この類の生徒たちは・・・」と続けようとした時、私は「この類の生徒たちには、特別に感心を寄せるべきです。彼らはやがて社会の発展のための主力になるからですね」と廖先生の代わりに答えた。それを聞いた廖先生は、ニコッと微笑んだ。

単なる盆栽も、芸術に造詣の深い教育者の目に触れれば、これだけ深い意味合いが生まれることに感心した。廖先生は淡々と話していたが、私にとってそれは大きな啓示となった。それからというもの、私は訪ねて来た人や生徒たちに、盆栽の話をするようになった。

ある日、生徒たちが校長室を掃除した後、張先生がチェックするためにやってきた。張先生は盆栽の前で足を止めると、3人の生徒を呼びつけて、「この盆栽の木は斜めに成長してしまったから、正さなければならない」と話しながら、木を引っこ抜いて植え直した。さらに、「盆栽には雑草があってはならない」と話し、草を引っ張ったり、いじったりしているうちに苔はぐちゃぐちゃになってしまった。張先生が続けて盆栽をいじろうとした時、3人の生徒は困った様子で「張先生を止めて下さい」という合図を私に送ってきた。

この出来事に遭ったのは、決して偶然ではないと私は感じた。長年の教員人生の中で、私の学生たちへの教育が間違っていたこともある。盆栽を育てるように、彼らの成長にそって愛情を持ちながら育てることが重要なのであり、「矯正」ではダメなのだ。私は3人に頷き、「分かった」と返事をして張先生に盆栽の哲学を伝えた。

※呉雁門(ウー・イェンメン)

呉氏は2004年8月~2010年8月までの6年間、台湾雲林県口湖中学校の第12代校長を務めた。同校歴代校長の中で最も長い任期。教育熱心で思いやりのある呉校長とこどもたちとの間に、たくさんの心温まるエピソードが生まれた。

(翻訳編集・大原)