【大紀元日本2月26日】トイレの中から、「よいしょ、よいしょ。がんばれ、がんばれ」という声がいつも聞こえていた。
それは、老いた母の声だった。
人一倍がんばりやさんで、17年間、直腸ガンと戦ってきた人の声だった。
母の体には、直腸の代わりに人工ストマーがついている。
2年前には、胃を全摘出。しかし、すでにリンパや腹膜へも広がっていた。
83歳という年のせいか、ガン細胞に勢いはない。しかし、それはゆっくりと、そしてじわじわと母を蝕んだ。
「ありがとうよ。来てくれて。本当にたすかった」
毎日、病院に通う私に、母の口からこぼれる感謝の言葉。
私は、その千倍の思いを込めて、心の中で母に応える。
「私こそ、お母さん、今まで育ててくれてありがとう。そして、親不孝ばかりしてごめんなさい」
今の私に出来ることは、母に毎日会いに来て、食事を口に運び、痛む体を摩ってあげるだけ。
末っ子で、甘やかされて育った私。でも、この残された時間で、少しでも母に恩返しがしたい。
そして最期の時に、傍にいてあげたい。
母はもう、食事も思うようにのどを通らず、水を口にするのがやっとである。
今は、ベッドで自分の体を動かすこともできない。
一日に何度も、体の位置を変えてあげる。
まるで母は、ゆっくりと静かに消えようとしているろうそくの炎のようだ。
そんな母も、時折、意識がはっきりとする。
「ねえ。お願いだから、私のお葬式は一度だけにして頂戴。そして、できるだけ、質素にしてね」
お母さん。
自分の痛みをこらえるのに精一杯なのに、私たちを気遣ってくれてありがとう。
母と同じだけ齢を重ねた父の目から、涙が溢れた。
3月3日のひな祭りは、父と母の66回目の結婚記念日。
お母さん、お願いだからその日まで、なんとかがんばってください。
毎日、帰り際に強く母の手を握る。
明日もまた、かならず会えますように。
母はぽつりと言った。「しあわせだよ。皆、会いに来てくれて。お母さん、一生に悔いはないからね」
病室のテーブルに置いていた、母の大好きな小さな植物たちも、静かに微笑んだ。
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