【大紀元日本1月30日】
本文は、私が知り合った先天道を修めた平先生(500歳)の経歴を記録したもので、文章はすべて記憶によるものである。何人かの人の記憶を統合したもの、または私と平先生の間であった途切れ途切れのいくつかの対話を元に書いたものであるため、文の繋がりがよくないと感じるところもあると思われる。私はそれらを一つに統合し、論理的な文脈を整えるため、想像を使った文字を加える場合があったが、事実を離れた記述はない。平先生との経験から、私は世の中の多くの出来事は人が思っているものとはまったく違うということが分かった。本文を読んだ後、多くの人は考え方が変わると思う。
七、脈
平先生は我が家に三、四日泊まった。ある日の朝、突然急用があると言って出ていこうとした。私と父が引き止めると、彼は、前日の夜、洞庭湖の底の黒魚妖怪が湖内の龍族を傷つけ、洞庭湖から追い出したため、龍族は居場所をなくしているという情報を受け取ったと言った。黒魚妖怪を除き、龍族を助けに行かなければならない、時間が長く経つと黒魚妖怪が洞庭湖を汚染させてしまい、それらの龍族がとても危険な状態に置かれるという。更に、それらは人類の環境の崩壊と破壊を引き起こすことになるのだ、と彼は言った。
私は彼の話があまり理解できず、もっと詳しく説明するようお願いした。
すると、彼はすこし考えてから、こう話した。生命には循環があり、その循環が中断されると、生命は死亡してしまう。宇宙の全ての生命はそのようにできている。一つの個体の小さな生命は、一つの小さな循環であり、同境界の生命圏内の全ての小さな生命は連結し合って、もっと大きな循環を形成し、更に巨大な生命体を作る。この循環を形成する要素が、まさに「脈」である。この「脈」は至るところにあるが、ただ凡人の肉眼には見えないし、触れることもできないという。
例えば、私たちの人体には脈絡があるが、漢方の治療は、主にこの「脈」を通じさせることで病気を治す。脈が通じなくなると循環が不順となり、体に相応の症状が現れる。薬草、針灸などでその脈を通じさせると、病気は治る。一方、漢方でいう点穴というのは、実は脈を遮断することである。点穴して脈が封じられると、人体には相応の問題が生じるが、解穴すると、封じられた脈は再び通じるようになる。
人体の「ツボ」は、各脈が交錯し、連通する肝心な集合点であって、穴とも呼ばれる。それぞれのツボは、異なる脈路と人体の異なる機能を支配している。また、脈は目に見えないし、血管でもないが、人の指を例とすると、5本の指先は全て脈で繋がっている。ただ、人はそれを目にすることも、触れることもできない。脈の循環は血液の循環と脈動により現れるが、全ては互いに関連し、互いに影響を与えている。一般的に、漢方でいう脈を測るというのも、実は脈ではなく、血管を指しているのである。
人の体には脈があり、それが人体の生命の小さな循環を構成する。一方、人と人の間も、人脈で繋がっており、それがいわゆる「縁」である。「縁」には、血縁、夫婦の縁、善縁、悪縁など、多数の種類があり、皆この人脈によって繋がっていて、相応の作用を果たしている。同祖先から生まれた後代は、皆同一の祖脈をもっており、まるで木の幹、小枝のように繋がっていて、遠く離れれば離れるほど、脈は細くなり、繋がりも小さくなる。親と子も脈で繋がっており、それが「血縁」である。友達、仇敵、知り合いとの間も、脈によって複雑で錯綜しながら連結している。脈は太いものもあれば、細いのもあり、善のメッセージを輸送するのもあれば、悪のメッセージを送り込むのもある。それがまさに人々の言う、いわゆる縁が深い、縁が薄い、善縁、悪縁というものなのだ。
縁がない人の間で、めぐり会うことはない。たとえ人ごみの中で、慌ただしく通り過ぎたとしても、それもひとつの縁が必要となるのだ。平先生は、自分は我が家と、とても深い縁があり、特に私との間はそうであると言った。それ故、彼は数回も我が家を訪ねてきたのであった。一般的に、仙人は特別な使命と縁がない限りは、世の中の凡人と接触したり、一緒に生活したりしてはいけない。それは許されないことである。しかし、彼と私たちの間は、一般的なものを超えた、深い縁で結ばれていたのだった。
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