【大紀元日本5月13日】
一為遷客去長沙
西望長安不見家
黄鶴楼中吹玉笛
江城五月落梅花
一たび遷客(せんかく)と為(な)って、長沙に去る。西のかた、長安を望めども家を見ず。黄鶴楼中、玉笛(ぎょくてき)を吹く。江城、五月、梅花(ばいか)落つ。
詩に云う。このたび遠国に流される身となって、長沙の地まで来た。ここから西の方にある長安を望んでも、わが家は見えない。この黄鶴楼で、しばし望郷の念にかられていると、誰かが楼中で吹く笛の音が聞こえてきた。しかもそれは名曲「落梅花」ではないか。ああ、長江の流れに臨む武昌の町で、夏の五月に季節はずれの梅が散り落ちるとは。
李白(701~762)の晩年の一首である。史郎中欽(しろうちゅうきん)は、史欽が名前で、郎中は官職名を指す。李白の友人と見られるが、どんな人物かは伝わっていない。
李白は、安禄山の反乱鎮定に尽力した永王・李璘(玄宗の子)の幕僚に加わっっていた。ところが、その永王が、異母兄で次の皇帝となった粛宗の勅命に背いてしまった。粛宗の怒りをかった永王は討伐軍に斬られ、李白も連座させられて流罪になったのである。
詩は確かに秀作なのだが、あまりにしみじみとしてしまって、どうも李白らしくない気もする。これを見る限り、晩年の李白は、壮年以前の豪放磊落な李白とは異なり、詩風も変わったのかと思わされるのだ。それが悪いわけではない。人間とは、そういうものなのだろう。
おそらく、という前提で詩人の心中を想像する。友人である史欽が、流人として送られる途中の李白を訪ねてきた。史欽は正式な尚書省の官_li_であるから、その特権を行使して自由のない身である李白を一時あずかり、黄鶴楼に誘った。限られた時間を旧友とともに過ごす李白。その耳に、ふと聞こえてきた笛の音がひときわしみる。
だとすればこの詩の主題は、単なる望郷の念というよりは、旧友との静かなひと時に込めた情感にあると言えるだろう。
李白このとき58歳であった。
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