【大紀元日本7月29日】
霜草蒼蒼蟲切切
村南村北行人絶
独出門前望野田
月明蕎麦花如雪
霜草は蒼蒼(そうそう)として、蟲(むし)は切々(せつせつ)。村南村北、行人(こうじん)絶ゆ。独り門前に出でて、野田を望めば、月、明らかにして、蕎麦(きょうばく)の花、雪の如し。
詩に云う。秋の霜にあたった草は、生気が衰えて青白く、その草むらでは虫がしきりに鳴いている。村の南も、北も、道行く人は絶えた。ただ一人、門前に出て、野中の畑のほうを眺める。そこには、ささやかな月明かりのもと、蕎麦(そば)の白い花が、一面の雪のように広がっていた。
白居易(772~846)40歳のころ、母の喪に服するため、官職を一時離れて郷里(陝西省)に帰っていたときの作である。
詩の内容は、農村の風景を描写しただけの平凡なものである。しかし、それがまた、目を閉じて想像するだけで美しい世界が広がるような、すばらしい輝きを放っていることに気づくのだ。
月明かりの下、一面の雪のように咲く白い花。それはもちろん貴族の牡丹のような花ではなく、農民にとっては作物でしかない植物の小さな花である。しかし、官を離れ、郷里で服喪する白居易にとって、それは最も好ましい静かな風景であったに違いない。
しかも、郷村の美だけを詠じたこの一首には、詩に託して自分の心境を吐露するなどの臭みが一切ない。そこが、とにかくいいのである。
角度を変えて言えば、白居易自身も、この郷里で過ごした3年の間に、そういう原点的な風景を発見したのではないかと思う。官界にも、文人のサロンにもない、田舎の農民がそこで働き、日々の暮らしを立てている風景。そこには、労働の苦労はあるにせよ、政争や人間関係の煩わしさとは無縁の生活がある。
今夏も節電の日本。まだまだ暑い日が続く。しかし、あと1カ月もすれば、草むらで秋の虫が騒がしく鳴きだすのだから、いささか不思議である。
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