自然に従い、良心に背かず、徳を積む。古代中国では、人の道にはずれた行いは、災いを招くと信じられていました。特に、男女間の過ちは重大な罪とみなされたのです。自由恋愛が当たり前の昨今ですが、天の掟は変わりません。真の幸福は、道徳に従ったシンプルな生き方から生まれるのです。
明の時代、靳瑜(じんゆ)という男がいた。彼は私塾を経営し、一生懸命生徒たちに教え、人々から尊敬されていた。しかし、彼は嫁を娶ってから20数年経つにも関わらず、子供に恵まれなかった。彼の妻は、夫に妾をとるよう説得した。すると彼は言った。「私には息子がいないのだから、教師としての職を全うし、生徒たちが国にとって有用な人物となるよう導く。これも同様に子孫を残すようなものだ。それに、息子を授かるかどうかは天が決めることであり、欲しいからと言って無理やりに得ることはできない」。夫が頑なに拒絶するのを見ると、妻は家の蓄えを持ち出し、近所に住む娘を妾にもらう決心をした。
ある日、妻は靳瑜に手紙を出し、早く家に帰るよう伝えた。靳瑜が急いで家に戻ってくると、食卓には豪勢な食事が並べられ、若い娘が座っている。妻は靳瑜に娘は妾だと伝えると、素早くその場を離れて外から部屋に鍵をかけた。
すると、靳瑜はすっくと立ち上がり、窓を蹴破って部屋から出てきてしまった。妻は驚いて靳瑜に言った。「私は家の財産のほとんどを使い果たしてまであなたのために妾を娶ったのですよ。そうすれば、靳家は途絶えませんから」
靳瑜は答えた。「お前の気持ちは分かっている。しかし、この娘はまだ18歳だ。彼女が小さい頃、私は抱っこしてやったこともあるのだぞ。彼女はいつも、私をおじいさんと呼んでいたくらいだ。私の望みは、彼女がよい男性と結婚することだ。私は年を取っているし、病気がちで、彼女にはふさわしくない」。靳瑜の決意が固いのを見ると、妻は仕方なく娘を彼女の家に返した。
その後まもなく、靳瑜の妻は子を身ごもり、息子を産んだ。結婚後、20年以上経ってからの吉事だった。彼らの息子は17歳になると、省の試験を首席で突破し、18歳で次の試験にも合格した。息子はその後、宰相の位に上り詰め、靳文僖公と呼ばれて尊敬された。人々は、靳瑜の徳行が天をも感動させ、優秀な子供を授かったのだと言い伝えた。
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