【大紀元日本8月26日】
九月九日望郷台
他席他郷送客杯
人情已厭南中苦
鴻雁那従北地来
九月九日、望郷台(ぼうきょうだい)。他席他郷(たせきたきょう)客(かく)を送るの杯(はい)。人情(じんじょう)已(すで)に厭(いと)う、南中(なんちゅう)の苦。鴻雁(こうがん)那(なん)ぞ北地(ほくち)より来たる。
詩に云う。九月九日、望郷台に登った。私の故郷ではない、この蜀(四川省)の地で今年も迎えた重陽の節句。折りしも、その日に重なったのは、酒杯を交し合って友人を送る、賑やかな送別会であった。しかし、すでに私の心情は、蜀での暮らしに飽き飽きしている。それなのになぜあの雁は、わざわざ北からこの地へ渡ってくるのだろう。
作者の王勃(おうぼつ、649~676)は李白や杜甫がでた盛唐の前の時代である初唐の詩人で、「初唐の四傑」の一人として知らている。
9月9日は重陽の節句。正確には旧暦のその日のことであるが、菊の花を浮かべた酒を飲むことから菊の節句とも呼ばれる。
芭蕉の句「草の戸や日暮れてくれし菊の酒」にみられるように、その習慣は、平安時代から江戸期までは日本にもあったのだが、今日では、端午の節句や七夕に比べて、重陽の節句に関係する行事はほとんど行われなくなっている。
本元の中国ではどうかと言うと、日本と同様、現代ではその習慣はほとんど耳にしない。
ところが唐代の頃には、重陽の節句は清明節にも劣らないほど重視されていたようだ。この晴れの日、人々は家族や一族そろって高台に登り、長寿を祝って、野外での飲食を楽しむ。
しかし何らかの事情により、故郷を離れて一人異郷にいる場合がある。詩人にとってそれは格好の望郷詩の題材となる。王勃のこの詩も、その例に漏れない。
奇しくも高台の名は望郷台。北から渡ってくる雁は、都の長安か、王勃の出身地である山西省への思いをかきたてるに十分な配役になっている。
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