伝説の靴磨き ミソおじさん 

ボスニア ・ ヘルツェゴビナの首都サラエボ(Sarajevo)、チトー通り(Tito)で伝説を作った人がいる。靴磨きで有名な「ミソおじさん」(Uncle Miso)だ。

ミソおじさんの本名はフセイン・ハサニ(Husein Hasani)。コソボで生まれ、第二次世界大戦後に両親とサラエボにやってきた。21歳で父親の後を継いで靴磨きを始め、60数年間続けた。

ミソおじさんは毎日きちんとした格好で仕事に出かけ、朝から晩まで、雨の日も風の日も休むことなく路上に座った。いつも楽天的なミソおじさんは徐々に人気を集め、彼の前にはいつもお客さんが並ぶようになった。靴磨きのためではなく、おしゃべりをしに来る人もいたという。町の風物詩となったミソおじさんは、観光案内にもたびたび載せられるほど有名になった。

サラエボ包囲戦が起きた4年間(1992年4月—1995年12月)、多くの住民が逃亡する中、ミソおじさんは依然として同じ場所に座り、仕事を続けた。「彼がここを離れない限り、僕たちは明日も元気でいられる」。人々は、彼の勇気を称えた。

2009年、ミソおじさんは名誉市民賞を受賞。政府からトロフィーを授与され、一軒の家と退職金を受け取った。「亡くなった妻がこの幸せを一緒に分かち合えないことが残念だ」と彼は話したという。

2014年1月7日、彼は83歳で靴磨き職人の幕を閉じた。ミソおじさんの遺影は、彼の長年の職場であったチトー通りの木の椅子の上に置かれ、多くの市民が弔問に訪れた。遺影の前にはろうそくと花束、また一足のきれいな革靴が置いてあった。

ミソおじさんが亡くなった後、息子のRamiz Pasicが街頭での靴磨きの仕事を受け継いだ(ELVIS BARUKCIC/AFP/Getty Images)

 

ミソおじさんの葬儀に参加し、黙とうをささげるサラエボの市民(ELVIS BARUKCIC/AFP/Getty Images)

 

(翻訳編集・淳萌)