マレーシア共産党は独立に寄与せず武装反乱を起こしていた。写真はマレーシア独立記念日のパレード(Photo by Manan VATSYAYANA / AFP) (Photo credit should read MANAN VATSYAYANA/AFP/Getty Images)

マレーシア共産党の歴史書が発売禁止処分 事実を歪曲し社会に害及ぼす恐れ

マレーシア政府は近日、マレーシア共産党の歴史書「マレーシア共産党歴史画集(一)」を発売禁止処分とした。虚偽の内容と歪曲された事実によって民衆を惑わし、社会の安寧と秩序を脅かす恐れがあったからだ。今後マレーシアでその図書を印刷・複製・出版・所持することは違法となり、有罪判決が下れば実刑に処される。

マレーシア内政部長Dato’ Seri Alwi Bin Hj. Ibrahim氏は12月7日、「マレーシア共産党歴史画集(一)」の発売禁止を決定したと公告を出した。マレーシア内政部は1984年に制定された「印刷と出版に関する法令(301法令)」に基づいて禁止命令を出した。禁止命令の内容には、図書の印刷・輸入・製作・複製・出版・販売・波及・所持が含まれる。違反者には三年以下の監禁または2万リンギット(約53.9万円)以下の罰金に処せられ、併科される場合もある。

Dato’ Seri Alwi氏によると、歴史画集には共産主義運動を推進する意図があり、大衆を惑わ虚偽の情報が波及する恐れがある。歴史画集には、国家が独立できたのは共産党の奮闘のおかげであるといった虚偽の情報があり、共産党に対する同情と支持を呼び込む構成となっている。

マレーシアがなぜ共産党を禁じるのか

マレーシアは共産党と共産主義を厳に禁止している国家の一つである。その背景には、長年共産主義ゲリラによる破壊と殺戮の暗い歴史がある。

マラヤ連邦は後の初代首相となるトゥンク・アブドゥル・ラーマンの努力の下、1957年8月31日に独立した。マレーシア共産党は独立に力を貸さないばかりか、1948年から41年間にわたり武装闘争を行った。

公開された史料によると、マレーシア共産党は1930年代にコミンテルン代表のホーチミンの監督の下、正式に結成された。中国共産党の海外支部の形式を取っていたため、中国共産党南洋臨時委員会と呼ばれた。1947年3月、23歳の陳平が総書記となり、共産化した中国との連携を密にした。

1955年、イギリス統治下のマレーシアで初の普通選挙が行われ、連邦自治政府が誕生した。マレーシア共産党と自治政府はマレーシア北部の都市・バリンで会談を開いた。のちに「バリン会談」と呼ばれる会談の席で、マレーシア共産党は共産主義的イデオロギーを放棄しないこと、自治政府がマレーシア共産党の合法的地位を認めることを要求した。自治政府が要求を拒んだため会談は不成立に終わり、マレーシア共産党は武装闘争を再開した。

マレーシア共産党はイギリス植民地当局とマレーシア政府の鎮圧により、勢力を失い始めた。1961年、マレーシア共産党は武装闘争を一度あきらめた。しかし中国共産党の鄧小平がマレーシア共産党指導者であった陳平らを北京に呼び集め、武装闘争の再開を求めたため、武装闘争はその後も20年間続けられた。

マレーシア共産党は武器を取り、陳平もマレーシア・タイ国境の根拠地と北京を行き来していた。毛沢東はマレーシア共産党に対して全力で支援を行った。マレーシア共産党のラジオ放送「革命の声」もイデオロギー戦略を展開した。マレーシア共産党とマレーシア政府軍との間で展開された戦闘には多くの犠牲が伴った。戦闘員だけでなく、一般人も多数死亡した。

陳平はこのように回顧している。「われわれは毎年中国に必要経費を報告した。予算は米ドルで組まれていた。北京は状況に応じて支援の額を増やしてくれた。このようなやり取りは、中国が1989年に支援を停止するまで続いた」

中国共産党からの支援が途絶えると、マレーシアやミャンマー、タイの共産党は相次いで武装解除された。中国に移住した東南アジアの共産主義者の多くは失意のうちに亡くなった。

(翻訳編集・文亮)

関連記事
香港では「国家安全法」を導入したことで、国際金融センターとしての地位は急速に他の都市に取って代わられつつある。一方、1980年代に「アジアの金融センター」の名声を得た日本は、現在の状況を「アジアの金融センター」の地位を取り戻す好機と捉えている。
メディアのスクープ話が世の中を動かす。特に最近は「文春砲」など週刊誌メディアの元気が良い。同時に報道のありかたが問われている。国が国民の幸福を奪うことがあったら、ある程度、国家権力の作ったルールを逸脱する「反社会性」を持ち、戦わなければいけない時がある。記者は反社会的な面を持つ職業で、メディアは反社会性を持つ企業なのである。
米空母、台湾防衛態勢に 1月29日、沖縄周辺海域で日米共同訓練が挙行された。日本からはヘリコプター空母いせが参 […]
上川陽子外務大臣は、パナマ在留邦人及び進出日系企業関係者と昼食会を実施した。日・パナマ間の経済分野における協力の可能性や課題、教育などについて、意見交換を行った。
2月23日午後、上川陽子外務大臣はパナマ運河視察を行った。日本が主要利用国であるパナマ運河の安全かつ安定的な利用環境確保に向けた連携を維持すると表明