<寄稿>元気な週刊誌報道は危うい? 報道はそもそも「反社会的」…外務省機密漏洩事件を振り返る

2024/03/04 更新: 2024/03/05

メディアのスクープ話が世の中を動かす。特に最近は「文春砲」など週刊誌メディアの元気が良い。

しかし内容を見ると有名タレントの性的スキャンダルとか、政治家の不祥事が繰り返される。そしてその情報の出所が、対象の人間を追い落とすためとか、金銭目当てであることが透けて見えることが多く、良い印象を受けない。いい加減な情報も多い。

報道の目的とは、国民の幸せのために、記者が社会問題の客観的な情報を提供して、人々がそれを参考に政治的な意思決定する、経済活動や社会活動に役立てるなどして、社会全体の利益を増進させることだろう。だが、このようキレイゴトは理想論で、現実には報道をする人、される人、双方に問題がある。

国が国民の幸福を奪うことがあったら、ある程度、国家権力の作ったルールを逸脱する「反社会性」を持ち、戦わなければいけない時があると思う。記者は反社会的な面を持つ職業で、メディアは反社会性を持つ企業なのである。

報道のあり方を考える例として、国家機密と報道がぶつかり合った沖縄返還をめぐる外務省機密文書漏えい事件(西山事件)を取り上げてみよう。西山太吉氏というこの事件の主人公だった元毎日新聞記者は、23年2月に92歳で亡くなった。この記事は、澤地久枝さんの「密約―外務省機密漏洩事件」(中公文庫版)というルポルタージュを参考にした。

外務省機密漏洩事件 いわゆる「西山事件」とは

1971年6月、佐藤英作首相が愛知喜一外相と駐日米国大使のアルミン・マイヤー大使が琉球諸島と大東諸島の日本返還条約に署名するのを立ち会う。署名式典は東京とワシントンで同時中継された(Photo by Pictorial Parade/Archive Photos/Getty Images)

太平洋戦争の終結後、米軍による占領下に置かれた沖縄は、1972年5月に日本に返還された。この返還に際し、日本政府は米軍の施設費用3億2000万ドル及び基地移転費用を支払った。しかし、その他の土地復元費用など400万ドルを日本政府が肩代わりする密約が1971年に日米両政府の間で結ばれた。これは公にされなかった。当時の政府と外務省はその密約の存在を認めなかった。

この存在を西山氏が取材で明らかにした。当時の米国局長の吉野文六氏の証言や、2010年以降の米国の情報公開で、これが正しかったことが、後になって分かった。

しかし西山氏の取材方法、情報の公開方法が問題だった。その証拠となる公電を外務省の女性事務官から入手したが、二人の間には「情を通じた」関係、つまり性的関係があったのだ。

当初は、彼は密約の存在を匂わす報道をしたが、証言などから記事として詰めきれなかった。そこで社会党の横路孝弘衆議院議員にコピーを渡して、質問に取り上げるように依頼した。横路氏は、情報源秘匿の配慮をせずに公電を国会質問で72年3月に取り上げた。その結果、印鑑などの情報から外務省からの漏洩が疑われた。その女性事務官は自首した。東京地検特捜部は、この事務官を国家公務員法違反(秘密漏えい)、西山氏を同法(そそのかし)の罪で72年4月に逮捕・起訴した。

最高裁まで争われたが、2人は執行猶予付きながら有罪となっている。

「ひそかに情を通じ」の起訴状で情勢は逆転

当初、西山記者の行動に対する同情的な見方が主流だった。しかし、女性事務官との性的関係を検察が公判で強調したことで、状況は一変した。検察はわざわざ「密かに情を通じた」との記述を起訴状に加えると、週刊誌がこぞって取り上げ、新聞もそれに言及し、西山氏擁護もトーンダウンした。毎日新聞に対する不買運動も巻き起こった。他紙は、この機会に毎日新聞のシェアを奪うことを狙い、西山氏の取材方法を批判した。

最高裁も西山氏の取材そのものに「一般の刑罰法令に触れる違法性」はないが「情を通じた」ことが通常の取材手段を逸脱し、報道の自由は無制限に認められないと批判した。そして国家公務員法111条の秘密漏洩、そそのかしという規定により有罪とした。この法適用は前例がなく、法曹界や有識者からの批判もあったが、「情を通じ」の問題がそれを上回った。

検察が強気だったのは、当時の佐藤栄作首相が、自分の政治業績である沖縄返還に傷をつけたくなかったためか、西山記者を訴追するよう示唆したという点もあるようだ。いわば首相お墨付きで、国家が個人を政策のために断罪する「国策捜査」だった。この事件は、国家権力が個人に襲いかかった面がある。

上記のルポ「密約」で澤地久枝氏は、西山記者の有罪を認めた最高裁判決を評して「佐藤内閣の肩代わり密約は重大な違法密約とは言えないといって救い、一方、その密約に関わる公電持ち出しを称揚した西山氏の取材の違法性は免れないというのである。事の軽重が正反対になっている」と指摘した。私もその通りだと思う。

今でも彼の取材方法を批判する人が多いが、これは問題のすり替えだ。西山氏と女性の関係は不倫ではあろうが、犯罪ではない。しかも、男女の間なのではっきりしないが、事務官女性の方から、西山氏に情報を提供して、関係を持とうとしたとの説もある。

報道に内在する「反社会性」

録音レコーダーを向ける男性記者。週刊誌発の怪しい情報が流布し、影響を持つ現代。報道の持つ意味とは(yamasan/PIXTA)

取材を機密漏洩として処罰したら、世の中に何も情報は流通しなくなる。現代において、検察や政治家のリークとしか思われない情報が流布されている。前述のように週刊誌発の怪しい情報が流布し、影響を持っている。そうした現実を見ると、この西山事件判決のおかしさがわかるだろう。この取材手法よりも、出された情報の重要性、違法性こそ焦点をあてるべき問題であった。

西山氏の取材での行為は批判されるべきだ。また新聞紙上で勝負をせず、国会議員に不用意に情報を漏らしたことも問題だ。しかし法律で裁かれるべきではなかった。取材した記者を機密漏洩で有罪にすることは、民主国家であってはならない。悪い先例になってしまった。

そして現代に問題を照らしてみよう。違法行為によって情報をとれるとき、それを自粛すべきか。これは一般論としては議論のあるところだが、西山事件の訴訟で東京高裁の裁判で被告側証人として出廷した氏家斉一郎(読売新聞広告局長、のち日本テレビ社長、故人)は「新聞記者の取材はつねに秘密事項の取材を意味し、極秘文書だからといって取材を控えることはない。官庁からの文書持ち出しも、刑事罰の対象になる行為以外、取材は自由である」と証言した。私もこれに同意する。

冒頭の理想論に戻れば、国民の幸せのために、報道はあるべきだ。そのために権力監視は必要である。西山氏は、自分の取材方法が違法だとは認めなかったが、「反社会的」だと言っていた。ここでいう反社会性とは、国や社会が作る秩序を時には逸脱するということだろう。記者は反社会的な面を持つ職業で、メディアは反社会性を持つ企業なのである。

この報道の代償は重かった。西山氏は毎日新聞を退職に追い込まれ、毎日新聞は不買運動も起こり、それを一因として経営が傾いた。取材と報道、そしてそれによって提供される情報はこのように、時として重い意味を持ち、責任を負わされる。

幸いなことに、そして能力がないためか、私は記者歴の中で、違法性に直面するような選択はしなかった。大きな責任を担うという意識を持つよう心掛けている。

50年前の事件が問いかける、現代の報道の危うさ

そしてこの50年前の西山事件が現代に問いかけることを考えてみよう。機密情報を不適切な手法で入手した西山氏は反社会性を孕むものの大きな政治的影響をもたらした。権力監視機能を持ち、問題を探るメディアの役割は今後も重要であり、役割は変わらない。

現代誰でもメディアの時代、ネット空間の発達によって、流れる情報は膨大な量になっている。また政府や行政、また民間の抱える情報は肥大化した。そうした玉石混交の中で、独立した、プロフェッショナルによるメディアの役割が高まっているはずだ。

しかし、その報道が社会にあまり役に立ちそうにない、スキャンダルや面白おかしいセンセーショナルなものに偏りすぎてはいる。犯罪ギリギリの変な報道が、個人のスキャンダルに向けられ、個人の人権侵害に向けられている。

力の使い方が間違っていないか。メディアに属する人は、その持つ力の意味を理解しているのだろうか。記者として自戒を込めていうが、その力をもっと有意義なことに向けるべきだ。おかしな問題は今も社会のあらゆる場所に、報道もされずに転がっている。

ジャーナリスト。経済・環境問題を中心に執筆活動を行う。時事通信社、経済誌副編集長、アゴラ研究所のGEPR(グローバル・エナジー・ポリシー・リサーチ)の運営などを経て、ジャーナリストとして活動。経済情報サイト「with ENERGY」を運営。著書に「京都議定書は実現できるのか」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞社)など。記者と雑誌経営の経験から、企業の広報・コンサルティング、講演活動も行う。
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