ガンの闘病生活に前向きに挑んだバレリーナ − 夢を掴んだ直後に彼女のキャリアと人生を脅かす診断が…

白いドレスを着て泥遊びをするような子どもで、しかしお姫様になりたかったキアラ・バレー(Chiara Valle)。

運動好きだった彼女は、体操やフィギュアスケート、バレエを習い、10歳のときに将来バレエの道に進みたいと決意した。10代の頃にニューヨークのジャクリーン・ケネディ・オナシス学校でバレエを学んだキアラは、2016年、200人以上の中からワシントン・バレエ団の練習生に選ばれました。

その後ケネディーセンターの大舞台でプロデビューを果たし、キアラはスターへの道を突き進んでいるかのように思えました。

Chiara Valle started to dance at the age of 8 and dedicated her life to ballet. In 2016 she was hand-picked by The Washington Ballet’s Julie Kent, the artistic director, in an audition of 200-plus to join as a trainee. (Chiara Valle)

悲劇

2017年の冬、キアラは左足大腿部に痛みを感じ始めました。

医師はそれが良性腫瘍の一種であると考えキアラに非侵襲手術を勧めたものの、2度の手術を経ても症状は良くなりませんでした。
バレ一家は医者を転々とし、1年後にやっと正しい診断結果にたどり着きました。当時19歳だったキアラは、ユーイング肉腫と呼ばれる骨がんを患っていたのです。

動き回っていた生活から寝たきりの生活になることはキアラにとって辛いことでしたが、前向きに治療に取り組みました。
キアラの化学療法放射線治療は長期に及び、2018年には80日以上も入院しました。治療が大変でも、キアラはガンを克服できると信じ続けました。

After a year’s ordeal, Chiara Valle received the correct diagnosis of Ewing sarcoma, a rare type of pediatric bone cancer when she was 19 years old. (Chiara Valle)

誕生日プレゼント

キアラの母サンドラ(Sandra)曰く、キアラは医者たちにとって少し持て余した患者だったそう。キアラは20歳の誕生日を病院で迎え、両親は彼女を短時間ですがジェットスキー旅行に連れ出したのです。「低血球状態だったけど、楽しかったし大丈夫でした」とキアラ。これらの気晴らしがあったからこそ、キアラは長い入院生活を耐え抜けたのです。

化学療法をするにつれてキアラの吐き気は悪化。嘔吐に食欲不振による体重減、その他にも困難な状況は続きましたが、なぜかモチベーションだけは保っていたとキアラは振り返ります。治療が進むにつれ、キアラにとっては身体面よりもメンタル面での勝負になっていきました。

Chiara Valle painted ‘Cancer does not define me’ during her treatment at the Children’s Hospital at Montefiore. (Chiara Valle)

化学療法段階の終盤、キアラは両親にあとどれだけ耐えられるかわからないと漏らしていたのです。

しかし、キアラは自分を鼓舞し続けます。「回復後にバレエをするのを楽しみにしていたし、これは一時的な壁だと信じていました。そして最後には、奇跡の大復活を遂げてバレエの世界に戻たかったのです」とキアラは語りました。

大復活

2018年11月、彼女は最後の化学療法を受け、ひと月後には完治を伝えられました。

2019年2月以降、キアラは毎日バレエレッスン、理学療法、ピラティスに励んでいました。キアラがバレエのスタジオに戻ったとき、基礎練習ですらままなりませんでしたが、彼女は少しずつ本来の姿を取り戻しつつあります。

最近、キアラはユーイング肉腫治療の資金調達や、自分と同じようにガン患者に旅行を楽しんでもらうことを目的とした独自の非営利団体を設立しました。

Chiara Valle after the 10 months of treatment that left her with no evidence of disease. (Chiara Valle)

「私の声を届けたいと思いました。目標は全員が完治することです。団体“ユーイング肉腫の翼”を通してそれを実践していきたいです」とキアラは語っています。

そしてもう一つ驚きのニュースが。キアラは、9月にワシントン・バレエ団へ復帰する予定だそうです。

(大紀元日本ウェブ編集部)