「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」。これは、中国唐代の詩人白居易(=白楽天、772-846年)の長編叙事詩「長恨歌」の中の有名な一節で、安碌山の乱が起きて都落ちすることになった玄宗皇帝が最愛の楊貴妃に語ったと詠われているものである。
「比翼の鳥」(※1)は、漢代の類語・語釈辞典『爾雅(じが)』にすでに現れる。一眼一翼(一説には、雄が左眼左翼で、雌が右眼右翼)の伝説上の鳥で、地上ではそれぞれに歩くが、空を飛ぶ時はペアになって助け合わなければならない。このことから、後の人は仲のいい夫婦を「比翼の鳥」に譬えるようになったと言われる。
一方、「連理の枝」(※2)は、東晋(317-420年)に著された志怪小説集『捜神記』のある説話に由来する。戦国時代、宋の国の大臣・韓凭(かんひょう)と夫人の何氏は仲睦まじい夫婦であった。ところが、酒色に溺れ非道であった宋の国王・康王は、何氏の美貌が気に入り、韓凭を監禁してしまった。
何氏は密かに夫に手紙を書き、「雨が降り続き、川の水かさが深くなっています。出かける時は気をつけてください」と記した。ところが、この手紙は康王の手中に落ち、夫の元には届かなかった。実は、これは何氏の絶命詩で、「出かける時は気をつけてください」(原文:日出当心)は、自ら命を絶つ覚悟を表していたのである。果たして、何氏は、康王に付き添って出かけた際に高台から飛び降りて自殺した。一方、夫の韓凭も間もなく愛する妻のために命を絶った。
康王は激怒し、この二人を同じお墓には入れず、わざとすぐそばに別々に埋葬した。お互いがすぐそばにいるにもかかわらず、いつまでも一緒になれない辛さを味わわせるためであった。ところが、なんと数日後には二つのお墓から木が生え、枝と葉が抱き合うように絡み合い、根もつながってからみついた。そして、その木の上ではつがいの鳥が何とも物悲しい声でさえずりあっていたのである。これが「連理の枝」の由来である。
(※1)「比翼」とは「翼を並べて飛ぶ」こと。
(※2)「理」は木目のことで、「連理」とは、近くに生えた二本の木が合わさって合体し、木肌や木目が連なること。
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