1882年3月24日、ドイツの医師で病理学者のロベルト・コッホが結核菌を発見した。今から138年前のことだが、その病原菌の発見から人類がこの病気を克服するまでは、誠に長い時間を要することになる。
▼日本を例に言うならば、結核に対する治療方法が確立されたのは、抗生物質が普及した第二次大戦後であっただろう。それ以前には、サナトリウムなどの転地療法や、せいぜい良い食事で栄養を摂り、安静にするなどしかなかった。
▼栄養のある食べ物といっても、当時、それが買えない大多数の日本人にとっては、不治の病を意味した。発熱と倦怠感が長く続いた後、顔が変わるほど痩せ細り、肺に穴があく。血を吐くまで悪化すると、多くの場合は助からない。
▼人間にとっては誠に苦痛の大きい病であるが、その悲しい代償として、結核は、多くの文学を生んだ。石川啄木、梶井基次郎、国木田独歩、中原中也、樋口一葉、二葉亭四迷、堀辰雄、正岡子規などの文学者も、この病気のため多くが短命で終わっている。
▼結核は、現代の日本でも少なくはないという。それでも私たちは、結核に対して、日常の生活に影響するほどの恐怖は感じていない。マスクを買うため、数十軒の薬局を回ることもしない。そうした「落ち着き」は、治療法の有無だけに左右されず、私たちが本来もつべき心構えではないだろうか。
▼コッホといえば、コレラ菌、炭疽菌の発見者としても知られている。今日、生物化学兵器という分野でその用語を見ることがあるが、コッホが望んだのは、そういう魔術的な利用法ではなかっただろう。
【紀元曙光】2020年3月24日
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