<心の琴線> 太陽の人
それはまだ私が母親になっていない、20代後半の頃からだろうか。小さい子供を見ると、とびきり愛おしく感じるようになった。親友の子供でも、通りすがりの子供でも、とにかく抱きしめたくなってしまう。公園で遊ぶ子供たちを見ているだけで、思わず顔がほころんでしまうのだ。
これは女性にとって自然なことなのかもしれない。私の身体も赤ちゃんを授かる準備を始めたということだろうと、その時、心と身体が密接につながっていることを実感した。
そもそも「母性」とは何だろう。それは、生命を生み、育み、成長するために必要な環境を整え、常に与え続ける春のぬくもりのような存在。しかし、万一その子に危険が及ぶ時には、身を捨ててでも我が子を守ろうと、火にもなる存在。
私が抱くそんな「母性」のイメージの源泉は、私の母である。物静かで控えめだけど、そこにいるだけで家庭を輝かせる人。実家を離れてしばらく経つが、帰るたびに「母だけは越えられないな」と思ってしまう。
ずっと元気だったその母が、先日入院した。6時間におよぶ大手術を終え、今は病院でリハビリにはげんでいる。
母が家から離れている間、私が実家をのぞいてみると、そこの空気は一変していた。窓際に飾られた花は萎み、キッチンの片隅には空のペットボトルが無造作に積まれている。「靴下、どこだっけ」と言って、まごつく父。家事に不慣れで、心もとない私の妹。誰もがくつろげた和やかな空間は精彩を失い、そこの住人も心なしか元気がない。
「あの人は太陽のようだ」という言い方があるが、まさに我が家は母という太陽を雲に隠され、その光を浴びていた生命は成長が一時止まってしまったかのように見えた。
なんとかしなければならない。もうすぐ帰ってくる母のために私ができることは、家の中にまたエネルギーを復活させることだ。部屋をきれいに保ち、おいしい料理を作り、清潔な衣服を整え、ふかふかの布団を用意しよう。それは私が子供の頃から、母が毎日してくれていたことだ。そして、母が帰ってきたらゆっくりと休養できるように、家事全般を父と妹に教えるのが私の役目だ。
太陽の人が再び輝けるように、「一緒に頑張ろう」と父と妹を励ました。その言葉は、今は子供をもつ母親となった私自身に向けた励ましでもあった。
(京子)