1986年4月26日、旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号炉で、大爆発が起きた。火山の噴火のように放出された放射線物質は、日本を含む北半球の全域に広がった。
▼専門知識を持たないので、原発の是非について小欄で述べることは控えたい。ただ私たちの記憶に新しい、福島第一原発事故のことも思い出してみる。もちろん、中共ウイルスと原発事故の放射能とは、全く異なる。それは分かっているが、どちらも見えない危険物であり、それが人々に迫ってきた構図は、どうしても9年前の記憶が想起されるのだ。
▼あの時の関東地方の風景である。朝早くからスーパーに人が並んだ。ご老人が多かったように思う。抱えるだけの大量買いは何だったかというと、ペットボトルの「水」だった。大気中の放射性物質が利根川水系を汚染した、と誰かが言って、「水道水は危ない」になってしまったからだ。
▼不安が際限なく膨張すると、それ自体がモンスター化してしまう。子育てする若いお母さんには無理もないが、それにせっつかれた行政が、赤ちゃんの粉ミルク用にと配布したのは500mlのミネラルウォーターが「2本」。今日の布マスク2枚に、なんと似ていることだろう。
▼原発の現場では、懸命の、文字通り命懸けの作業に当たる人々がいた。中国語圏では「福島50勇士」と漢字が当てられている。そのほか、水素爆発で大破した建屋へ、戦闘さながらに肉薄して放水する自衛隊の方々もいた。
▼あれから9年後の今。病院のお医者さん看護師さん、どうかご無事で。日本を、よろしくお願いします。
【紀元曙光】2020年4月26日
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