ホーチミンのバナナ売り(左)(大紀元)
【ショート・エッセイ】

アオザイと微笑みの国へ

ホーチミン市となった今は、もちろん平和な町になった。最近そこへ行ってきた知人の話によると、道路にはバイクや自転車があふれ、活気に満ちていたという。

 それでもサイゴンという旧名が、今も頭から抜けないでいる。政治的な意味ではもちろんない。世界地図を眺めるのが好きだった小学生の頃から「ベトナムは南北に分かれていた」という地図上の印象と、ニュース速報で飛び込んできた「サイゴン陥落」の強烈な記憶が、数十年を経た今も残っているからなのだ。

 ミュージカル「ミス・サイゴン」のクライマックスでは、凄まじい爆音とともにステージ上にヘリコプターが降下してくる。サイゴンに最後まで残っていた米国人をあわてて飲み込んだヘリコプターは、手に証明書を持ち、金網ごしに助けを求めて叫ぶ群集を見捨てて、逃げるように飛び去るのである。

 ミュージカルとは別に、実際の歴史の舞台ではまだ続きがあった。上空で待つ次のヘリコプターの着陸場所を空けるために、救出した米国人を沖合いの空母まで運んだヘリを大勢で押して、そのまま艦上から海へ投棄したのだ。この時、海中へ捨てたヘリコプターは45機だったという。

 75年4月30日、すなわち米国人の総脱出が行われた翌日、サイゴン陥落。世界最強の米国は、初めて負けた。しかも、後ろ盾がどの国であれ、木の葉のような小国に惨敗したことが、その後の米国を長らく病ませた。

 ベトナムもまた、78年にはカンボジアでポルポト軍と戦い、79年には国境を越えて侵攻する中国軍と戦火を交えるなど、国の復興を引き止めるような硝煙のにおいが続いた。ベトナムの人々が本当に安らかな時間を持てたのは、おそらく最近の20年ほどであったろう。

 政治の是非を論ずることは本文の目的ではない。微笑みの国と言われるベトナム本来の静かな魅力を、この日本から想像したいだけなのだ。

 目を閉じると、白いアオザイに身を包んだ清楚な女子学生の姿が浮かんできた。その両親や祖父母は、あるいは筆舌に尽くし難い悲しみを経験してきたのかも知れないが、それと同じ悲しみを彼女の胸に突き刺してはならないと心から思う。

 私たち日本人もまた、同様の祈りを奉げているからだ。

(埼玉S)【ショート・エッセイ】より

 

関連記事
築200年の荒れ果てた家を購入し、5年かけて新しい命を吹き込んだ米国イリノイ州の夫婦は「それだけの価値があった […]
現代社会は、ストレスや様々な疾患に直面しており、多くの人々が健康への不安を抱えている状況にあります。しかし、私たちの身近な食材には、そんな不安を和らげる力を持つ意外なヒーローが存在します。それが「キャベツ」です。
SARS-CoV-2(新型コロナのウイルス名)のスパイクタンパク質が抗がん作用を妨げ、がんを促進する可能性があることが、最近発表されたブラウン大学による細胞研究のプレプリント(査読前原稿)で明らかになった。
台湾で最も歴史のある台南は、閩南(びんなん、福建省南部)系の古い建物や、和洋折衷の歴史建築などが多く残っていて […]
端午の節句に風に揺れる五色の鯉のぼりは、日本の風物詩の一つですが、その起源は古代中国の神話「鯉が龍門を飛ぶ(鯉の滝登り)」に由来します。この節句はもともと男の子の成長を祝う日とした伝統行事です。