中国共産党中央政法委員会書記を務めた孟建柱氏。写真は2014年3月3日撮影(WANG ZHAO/AFP/Getty Images)

中国当局、上海市副市長を「重大規律違反」で調査、狙いは孟建柱元公安相か

中国共産党中央規律検査委員会は8月18日、上海市副市長兼公安局長の龔道安(きょうどうあん、55)氏を「重大な規律違反と法に違反した疑い」で調査していると発表した。専門家は、龔副市長の元上司で、司法・警察・検察・情報などを主管する党中央政法委員会書記を務めた孟建柱氏が今後、当局の捜査対象となる可能性が大きくなったとの見方を示した。

龔氏は長い間、湖北省警察当局の幹部であった。2010年、中国警察当局である公安部(省)に入り、17年6月に上海市公安局の党委員会書記、局長などを歴任した。18年1月、上海市副市長を兼任した。

龔氏は、党内江沢民派閥(上海幇)の孟建柱氏の側近で、孟氏の後押しを受けて昇進したとみられる。孟建柱氏は2007~12年まで、公安部の長官を務めていた。龔氏は10年11日、公安部十二局(技術偵察局)の副局長に任命され、12年10月、同局の局長に昇任した。

一方、今年4月以降、今回の龔氏を含めて、中国当局は孟建柱氏の元部下や側近の3人を拘束した。3人とも公安部門の高官だ。当局は、4月に公安部の次官である孫力軍氏を、6月に重慶市副市長兼公安局長の鄧恢林氏を「規律違反の疑いで」調査しているとそれぞれ発表した。

江蘇省蘇州市出身の孟建柱氏は80年代、上海市近郊の川沙県や嘉定県のトップを務め、当時上海市のトップであった江沢民らの目に留まった。90年代、上海市農業委員会書記、副市長などを務めた。江沢民派閥の中心人物である曽慶紅氏らの働きで、2007年、江西省党委員会書記の孟建柱氏は公安部長官に昇進し、総警監(警察最高位)の階級を授かった。

さらに2012年、孟氏は江派閥の周永康に代わり、党中央政法委員会書記に昇任し、第18期党中央政治局委員となった。江沢民らは、孟氏を17年の第19回党大会で、第19期党中央政治局常務委員に選出させることを狙っていた。しかし、同年に70歳になる孟氏は、中央政治局常務委員会の「68歳以上は引退」という慣例により、最高指導部入りを果たせなかった。

2017年に引退した孟建柱氏は、司法・検察・公安・情報部門の長として、その十年間、江沢民派閥の法輪功弾圧政策を徹底的に実施していた。

前述の龔道安氏と鄧恢林氏は、孟建柱氏の引き立てで、湖北省公安庁副庁長などになったことがあり、湖北省における孟氏勢力の主要人物だ。

大紀元コメンテーターの李林一氏は、中国当局が孟建柱氏の拘束を視野に、龔道安氏らを調査し始めたと推測した。「当局のやり方は、当時の周永康の拘束と似ている。まず、孟氏と近い関係にある元部下を逮捕する。証拠を集めてから、孟建柱氏の拘束に踏み切る可能性が高い」

(翻訳編集・張哲)

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