魅力あふれる水の街・ベルン

スイスの首都ベルン。この街に足を踏み入れた瞬間、誰もがその魅力に圧倒されます。

ベルンはアーレ川が大きく蛇行する丘の上にあり、狭い石畳、砂岩でできた建物など、その街並みは数百年前とほぼ同じです。

 

ベルンの家々 (Max Schmid/swiss-image.ch)

高台にあるローゼンガルテン(バラ公園)には様々な花が咲き乱れます。

旧市街とアーレ川を一望でき、天気が良ければアルプスまで見渡せる、人気の絶景スポットです。

アインシュタイン

 

ベルンの街並みとアインシュタイン像 (Wibke Carter)

 

旧市街に沈む春の夕日 (swiss-image.ch/Jan Geerk)

高台には科学者、アルベルト・アインシュタインの銅像が座るベンチがあります。

アインシュタインは「相対性理論」をここベルンで確立しました。

1903〜1905年まで家族と住んだアパートは現在、記念館として一般公開されています。

ベルンの時計塔

 

天文時計と仕掛け (William Perugini/Shutterstock)

ベルンのランドマークと言えば、街の西門として建てられたスイス最古の時計塔です。時計塔の様々な機構は1つの装置によって制御されています。

 

ベルンのランドマーク、時計塔 (Wibke Carter)

ベルン市民はベルンの紋章・黒クマのようにのんびりしていると言われますが、時計の仕掛けに登場する黒クマは素早く動きます。

 

時計塔内部 (Wibke Carter)
構造を説明する観光ガイド (Wibke Carter)

ベルンは人口約14万人の小さな街です。

膨大なコレクションを誇るスイス最古の美術館、ベルン美術館も、時計塔からすぐの距離にあります。

ベルナープラッテ

 

コルンハウスはディナーに最適(Andy Mettler/swiss-image.ch)

コルンハウス(昔の穀物倉庫)はベルンを代表するレストランです。

バロック様式の店内は、アーチ型の天井やフレスコ画が魅力です。

 

ベルナープラッテ (Wibke Carter)

おすすめは、肉類とザワークラウト、穀類を一緒に盛り付けたベルン伝統料理・ベルナープラッテ。

この料理は、ヌーシャテルの戦い(1798年)で勝利を収めたベルン軍を祝うため、人々が食べ物を持ち寄ったのが始まりと言われています。

水の街

 

アーレ川で遊ぶ人々 (Andre Meier/swiss-image.ch)

ベルンには100以上の個性的な噴水があります。

噴水はその昔、人々が水汲みに集まる社交場で、家畜も水を飲めたそうです。

「子食い鬼の噴水」は、行儀の悪い子どもをしつけるためにわざと鬼をモチーフにしたと言われています。

アーレ川での川遊びは夏の風物詩ですが、氷河の水が流れ込む川は水温約21℃しかありません。

それでも短い夏を楽しもうと、アーレ川を泳いで通勤する人もいるそうです。

お菓子

 

カンブリーのチョコレート製作 (Wibke Carter)

1879年、ベルン在住のロドルフ・リンツがコンチング(チョコレートを練って口溶けをよくする工程)を発明し、ベルンはチョコレート史に名を刻みました。

ベルンから30分ほど離れた小さな村・トゥルブシャッヘンにはクッキーメーカー・カンブリーの工場直営店があり、100年前と同じ製法で作られたお菓子を無料で試食できます。

多い時には約408kgものお菓子が試食されるそうです。

 

チョコレートを作るカンブリー社員 (Wibke Carter)

様々な魅力を持つベルン。

一生のうちに訪れたい街がまた1つ増えそうです。

(大紀元日本ウェブ編集部)

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