【紀元曙光】2020年9月10日

 

9月6日の小欄。中国の「内モンゴル」について、「これ自体、奇異な呼び方である」と書いた。

▼それが気になっていたので、少々補足させていただく。私たち(つまり日本人)は、あまりにも習慣づけられた呼称であるため、視点が偏っていることに気づかない場合が多い。

▼中国の「内モンゴル」も、そうだ。中国領内(と今はされている地域)が内モンゴル。それに対して、昔のモンゴル人民共和国、現在のモンゴル国に相当する地域を外モンゴル、と「中国人が呼んでいる」のである。では、当のモンゴル人は何と言うかというと、北モンゴルと南モンゴル。当然ながら、彼らは内外では呼ばないのだ。

▼本来、モンゴル人の「世界」に内も外もない。あるのは渺茫たる大草原と、その広さを住居として軽やかに生きる遊牧の民の暮らしだけである。モンゴル人は、ときに馬蹄を連ねて漢人地域に攻め込み、食糧を強奪することはあったが、元朝の一時期を例外として、長期的に漢人の土地を統治することを望まなかった。

▼平時は交易で漢人から必要なものを得た。彼らが良馬や乳製品など自前の産物と交換したのは、漢人がもってくる茶であった。野菜の代わりに、茶からビタミンCを摂ったらしい。そんな平和な暮らしも、北にソ連、南に共産党中国という20世紀の嵐のなかで翻弄された。文化大革命期には、南モンゴルで大虐殺があった。

▼「内モンゴル」ばかりではない。モンゴル人、ウイグル人、チベット人いずれも数百万以上の人口を擁する大民族である。中共の用語「少数民族」も、一種のまやかしと言ってよい。