チベットの片田舎、シャアツェ地方と呼ばれるところには、美しく豊かな畑が広がっていた。その畑の中では、七~八歳ぐらいの少年が働いていた。
少年は、見るからに重そうな鍬を自身の頭よりも高く振り上げていた。少年の腕はやせ細り、鍬を振るたびにその腕は今にも千切れそうであった。遠目から見ると、頭が大きく手足は細く、炎天下のなかで今にも倒れそうであった。
このやせ細って可哀そうな少年は、元は活発で可愛らしかったウェンシー(チベット語で「トェバガ」)少年で、一片の清涼さと霊性の充満した大きな目以外は、みてくれがすべて変わってしまっていた。ウェンシーが幼年時分に着ていた服は上等な絹織物で、頭には黄金の飾り物をし、真っ赤な唇をした顔には天真爛漫な微笑みをたたえていた。
「坊やは幸せそうだなぁ。不幸なんか永遠に来ないだろうよ」とウェンシー少年を見て、人々には笑顔が絶えなかった。「坊やの笑顔を見ていると、煩悩も忘れるようだ」
しかし、現在のウェンシー少年からは、悲しみと苦しみ、意気消沈以外、笑顔を見ることはなかった。「あの鬼婆は、まったく人じゃないよ」。村の人々はウェンシー少年の叔母を罵倒した。
「全く、あの変わりようったらないわ」と、ある婦人が畑の中のウェンシー少年を指して言った、「あんな可愛い少年があんなになるなんて」と吐き出すように言うと、その場を立ち去った。
「本当に可哀そうだわ。あんなにいい子だったのが、しばらく見ない間に、虐待されて鬼のような形相になって」別の一人が怒気を含んで頷いた。
「ご主人のミラさんが生きていた頃は、うちのシャオワンが住み込みで職工として働かせてもらって、十分に食べさせてもらった。ウェンシーのように衣食が与えられないことはなかった」と、その中の一人が憤懣やるかたないといった様子で語った。シャオワンは、ウェンシー少年より七~八歳年上で、ウェンシーが小さい頃にこれを抱いて遊んだ仲であった。ウェンシーは、生まれつき親戚みたいなもので、彼には少年特有の驕りがなく、誰にでも同じようによく接した。ウェンシーは歌を歌うのが好きで、声もよく、使用人の人にも心をこめて歌を歌って聴かせた。皆、そんなウェンシーが好きだった。
しかし、世の中は無常である。この少年に、天が崩落したかのように、不幸が訪れた。ウェンシーの父親が死亡した後、叔父夫婦がその貴族的な財産をかすめとり、ウェンシーの金銭を奪って、皇帝のような生活をし、そのうえウェンシー兄妹に労働を強いて、衣食を与えなかったのである。
「世の中にこんなひどい話があろうか。全く恥を知らない親戚だよ」。村人たちはひそかにウェンシーの叔父夫婦を罵倒していたが、こうして集まっては井戸端会議を開くだけであった。
「本当に分からない。どうしてこんなにひどいことができるのか。遅かれ早かれ、天罰が下るわ」。村人たちは侃侃がくがくの議論でいっぱいであった。「まだ罰が下らないのは、時期が来ていないからだ」
ウェンシーの衣服はボロボロで、所々には修繕が施されていた。また栄養不良のため、皮膚は黒ずんだ灰色となり、畑での長時間労働のせいで、日焼けして黒く乾燥し、頭の宝石は売られてなくなり、乱雑にゆられて蚤でいっぱいであった。
(続く)
(翻訳編集・武蔵)
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