景公有馬、其圉人殺之。景公怒、援戈将自撃之。晏子曰「此不知其罪而死。臣請為君数之、令知其罪而殺之」。公曰「諾」。晏子挙戈而臨之曰「汝為吾君養馬而殺之。汝罪当死。汝使吾君以馬之故殺圉人。汝罪又当死。汝使吾君以馬故殺人、聞於四鄰諸侯。汝罪又当死」。公曰「夫子釈之、夫子釈之。勿傷我仁也」。
春秋時代、斉(せい)の景公(けいこう)は、お気に入りの馬をもっていたが、馬飼いの男が誤ってその馬を死なせてしまった。景公は怒り、まさに自ら戈(ほこ)をとって馬飼いの男を打ち殺そうとした。これを見て(斉の宰相である)晏子(あんし)が言った。「そうしますと、この男は、馬を死なせた自身の行為が死罪にあたることを知らずに死ぬことになります。私は、上さまに代わってこの男に教え諭し、罪の重さをよく知らしめた上で死刑に処そうと思いますが、いかがでしょうか」。景公は「よし、そうせよ」と答えた。
そこで晏子は、戈を振り上げ、馬飼いに向かって言った。「おまえは、上さまの大切な馬を養い育てていながら、それを死なせてしまった。おまえの罪は死罪に値する」。「また、おまえのしたことによって、上さまは、馬一頭のために人を殺すはめになった。おまえの罪は死罪に値する」。「そればかりか、おまえのしたことは、斉の君主がたかが馬一頭のために人を死罪にした、という不名誉を近隣の国に知らしめることにもなった。おまえの罪は、まさに死罪に値するのだ」。
この様子を見ていた景公は(自分の非を悟り、臣下である晏子への態度も改めて)言った。「先生、この男をお許しください。先生、どうぞ馬飼いを釈放してやってください。(私が間違っていました)私が仁者であるという評判に、どうか傷がつくことのないよう、何卒よしなに」。(大意、以上)
『説苑(ぜいえん)』という書物には、このような「戒めの小話」がやたらに集められています。前漢の劉向(りゅうきょう)が編纂した、およそ二千年前の書物なのですが、登場する人物の役割をかなり際立たせることにより、それらは一つの「目的」に向かって論述されていることが伺われます。
その「目的」とは何かというと、当時の漢皇帝である第11代・成帝への諫言でした。暗愚な皇帝である成帝は、政務よりも酒色にふけり、後に皇后を廃して卑賤の出身である趙飛燕(ちょうひえん)を皇后にするなど、周囲の懸念をかきたてたことが背景にあります。当代の皇帝に少しでもご自覚いただきたいという臣下の、切なる願いからのものでした。
表題の文章にある景公は、春秋時代の斉、つまり名目上は周王朝の支配下にある諸侯(大名)の身分なので、王でも皇帝でもなく「公」ということになりますが、暗示するのは漢の成帝です。その景公には、名宰相とうたわれた晏子がいました。晏子は、過ちを犯そうとする景公に直言するのではなく、わざと自分が愚かな身代わりを演じて、無意味な処刑をすることの非を悟らせます。
その遠回しな諫言を受け、自身の非を悟った景公が、部下である晏子を「夫子(先生)」とよんで敬う変わり様は、かなり無茶な展開ですが、それもみな先述の「目的」のためであるとすれば、なるほど首肯できると言えるでしょう。
(諭)
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