【古典の味わい】刎頸之交(刎頸の交わり) 『十八史略』より

趙王以藺相如為上卿。在廉頗右。頗曰「我為趙将、有攻城野戦之功。相如素賤人。徒以口舌居我上。吾羞為之下。我見相如、必辱之」。相如聞之、毎朝常称病不欲与争列。出望見、輒引車避匿。舎人皆以為恥。相如曰「夫以秦王之威、而 相如廷叱之、辱其群臣。相如雖駑、独畏廉將軍哉。顧吾念之、強秦之所以不敢加兵於 趙者、徒以吾両人在也。今両虎共闘、其勢不俱生。吾所以為此者、先国家之急、而後私讐也」。頗聞之、肉袒負荊、詣門謝罪、遂為刎頸之交。

趙王(戦国時代の趙の恵文王)は、藺相如(りんしょうじょ)を(食客から抜擢して)上席の家老にした。その地位は、武将である廉頗(れんぱ)より上の席次であった。廉頗は、こう言った。「私は、趙の将軍として、攻城にも野戦にも多くの戦功がある。相如など、もとは卑しい人間でないか。やつは、ただ口先がうまいだけで我が上位にあるだけだ。私が相如の下に甘んじるのは、我慢がならない。もし相如を見ることがあったら、必ず恥をかかせてやる」。

相如は(家来たちに)こう言った。「秦王が威を以って対しても、この藺相如は、秦王を(秦国の)朝廷で叱責し、その群臣をはずかしめてきたのだ。私が、いかに愚鈍であっても、どうして廉将軍ひとりを恐れることがあろうか。思うに、強国である秦が、あえて趙に戦争を仕掛けてこないのは、我ら二人(の武勇と知恵)がそろっているからだろう。今もし両虎(廉頗と藺相如)闘うことがあれば、その結果として、どちらも生きてはいない。私が廉頗将軍を避けている訳は、国家の急務を第一とし、私情の恨みを後まわしにしているからだ」。

廉頗は(人づてに)これを聞き(自分の不明を恥じた上で)肌脱ぎになった身に荊(いばら)の鞭を打ちつけ、藺相如の家の門前にいって謝罪した。そしてついに、藺相如と「刎頸(ふんけい)の交わり」を結ぶことができた。(大意、以上)

中国人が生きる世界は、個別の人間関係がきわめて濃密であるため、日本人としては、とまどうことも多いものです。そのことが、個の確立と公的規範を前提とする近代社会への発展に、中国が長い時間を要する遠因でもありますが、当の中国人は「日本人は冷たい」とあまりに一方的なもの言いをするため、こちらは閉口してしまうのです。

ここが「中国人が大好きな日本人」と「中国人が大嫌いな日本人」に分かれる分岐点なのですが、良くもわるくも隣国人である相手を嫌う前に、その文化的背景を理解することが肝要なのではないでしょうか。私は、中国人が嫌いという自身の小部分を自覚しながら、それを大きく包み込んで、中国文化と中国人が大好きです。

日本人は古来より、漢籍を訓読することによって中国文化を受容してきました。外国書を日本語で読んでしまうとは、なんとも無茶な方法ですが、それで十分に内容を理解できたのですから昔の日本人は大したものです。

その漢文教科書の定番である「刎頸の交わり」。相手のために自分の首が切られてもよい、と言えるほど厚い友情のことです。その通りにして死んだ例があったわけではないのですが、ここでは「そこまで言い切る」ことが大切なのであって、そうして中国人は友情の理想形をシンボライズしてきたと言えるでしょう。

それを昔の日本人は、笑って遠ざけることなく、「刎頸の友」という日常語のなかに入れて共有してきました。そうした日中共通の文化を令和の私たちが忘れているとすれば、惜しむべき文化喪失であると言わねばなりません。

(諭)