大紀元エポックタイムズ・ジャパン

【歌の手帳】夢のうちにも

  やどりして春の山べに寝たる夜は夢のうちにも花ぞ散りける(古今集)

 歌意「春の日。ある山寺に参詣して、その夜の宿を借りた。すると夢のなかにも、昼間見た桜の花が、まことに趣き深く散り舞っている」。緊急事態宣言が解除されたとは言え、リバウンドを防ぐ緊張状態がまだまだ続く昨今。こんな夢のような春の旅をしてみたいものだと、つくづく思います。

 「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」という冒頭の『土佐日記』で知られる紀貫之(きのつらゆき 866頃~945)の作。『古今和歌集』の仮名序を著し、また歌の選者として同集の成立に中心的に関わった紀貫之は、古今を問わず、我が国を代表する歌人といっても過言ではありません。

 当時、公的な文書は、真名(まな)つまり漢字をつかって漢文で書かれていました。不思議なことに、日本国の文書が(書面語ではありますが)外国語である中国語で作成されていたわけです。もちろん、それを書くのは日本人ですので、細やかな表現には仮名(かな)のほうが都合よいはずです。ところが日本人の男性は、その後も非常に長く(それこそ江戸期から明治に入るまでも)漢文で事物を記録する方法を、完全には捨てませんでした。

 日本がこのような歴史を有していたことを、現代の私たちは、他国にない知的財産としてよいと思います。では、なぜ日本人が漢字の文章を書いたかというと、記録という用途に限定して言えば、タテとヨコから強く圧縮した表意文字である漢字は、狭いスペースに詰めて書ける上、多くの内容もそこへ凝縮して込められるという点で、まことに合理的な文字だったからです。もちろん漢籍が読めて、漢文を書けることが第一の教養であり、それを顕示したい心理が筆者に多少あったことは否定できません。

 しかも当時、紙は高価な貴重品でした。やわらかな仮名文字は、見ても優美であり、一幅の絵のような「ちらし」は見事な芸術作品ですが、とにかく紙面を惜しまずに消費できる環境にいなければ、そうそう仮名は使えないことになります。

 とは言え、情感ゆたかな文学を創作するには、やはり日本人は仮名を用いなければなりません。男女の恋愛の歌も、春秋の風月も、やはり仮名文字に限ります。平安のころ、平仮名は女手(おんなで)とも呼ばれましたが、私的な場面では、もちろん男女を問わず使われていました。

 さて、その男性の紀貫之です。やはり『土佐日記』の冒頭「男がするという日記づけを、女の私もやってみようと思って、やるわよ」という奇抜な書き出しによって、実録の日記ではない「創作文学としての日記」の開幕を高らかに宣言したことが、日本文学史に特筆される功績であったと言えるでしょう。

 漢詩が中国文学の精華であるように、和歌は、日本文学の宝です。およそ1100年前の和歌が、こうして令和の日本人の手元にあって、風景は変わっても「夢のうちにも花ぞ散りける」と同じ情緒を味わえることは、まことに喜ばしい限りです。

 古(いにしえ)の山べの里は失(う)すれども夢のうちには花ぞ散りける

(敏)

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