「刺繍を通して心を創っていく」ー。柔らかい口調で紅会副会長の高橋信枝氏は語った。
古より伝わる日本刺繍を現代に伝える紅会(くれないかい)は、斎藤磬氏によって1970年に創立され、千葉県東金市に本部工房を置いている。発足して以来「日本刺繍の伝統の伝承」を合言葉にし、日本国内だけではなく、海を越えた欧米諸国にもその名が知られている。
大紀元は、斎藤磬氏の日本刺繡の継承者である孫の高橋信枝氏から日本刺繍とその文化について詳しく伺うことができた。「手は精神の出口」との教えを受け継ぎ、技と精神の修養を重んじる高橋氏は、日本伝統文化の大切さを語ってくれた。
ー先生からはとても上品さが感じられます。品を保つ方法は?
やっぱり着物を着ると、気持ちがしゃきっとするんですね。背筋もピンと伸びて、所作も、動きも気を使うことになる。着物を着ると、自然にそういう動きになると思いますね。
ー着物を着ることの良い点は?
19歳から30年近く茶道もしています。お茶をたてたり、ものを運んだりも、着物で全てやるんですね。お洋服を着るより、動きの無駄がなくなる。体の使い方は、腰から回るとか。お花もそうですが、日本の伝統的なものを習うと、美しい所作を心がけるようになります。
ー子どもの頃から着ていますか?
子どもの頃も着物を着せてもらっていました。自分で着るようになったのは19歳。おてんばさんだったので、子どもの頃は着物が好きじゃなかったかもしれないですね。
私は本当に色黒で、弟が三人いて、長女なんですけど。弟と一緒にこの敷地内を駆け回って、とにかく外で遊ぶのが好きな子供だったんですね。男の子っぽい感じだったので、刺繍や着物を着ることなどは今思えばあんまり好きじゃなかったかもしれないですね。
ー刺繍を始めたきっかけは?
5歳の時に祖父から「刺繍をやってみる?」と聞かれたので、始めました。自分からやろうとは思いませんでした。でも、すごいおじいちゃんっ子で、おばあさんより、おじいちゃんの事が大好きでした。
祖父が刺繍の教室をやっているところへは、東京や大阪、アメリカや外国などから学びに来る方がたくさんいました。そんな祖父の姿を見て、おじいちゃんのようになりたいという気持ちがあったと思います。
刺繍をするということは、ものすごく集中力と忍耐力が必要で、一つの作品ができるまでものすごく時間がかかる作業です。私はもともとそういうことが得意ではありませんでした。でも、祖父が働いている姿は憧れでした。あんな風に人に教えられる大人になれればいいなと、子どものころから思っていて、それで刺繍もだんだん好きになっていきました。
ー精神面での良い効果は?
祖父がとにかく文章を書く人でした。「手は精神の出口」という文章もありました。「紅(くれない)」という小冊子を毎月発刊していました。その冊子の文章は「日頃、どういう風に感じているのか」など、心のことが非常に多く書かれていました。私は幼い頃から祖父が感じていることを身近で見ていました。刺繍をすることもそうですけど、祖父がどうやって人を育てているのかも見ていました。それは、私の心の成長にもつながっていったのではないかと思います。
祖父には、名利のために刺繍をやるのではなく、人を育てたい、人の心を育てたい、という想いがありました。刺繡を通して心を創っていくことが祖父のやりたかったことですね。刺繍のことと精神のことが実はセットになっているのです。
ー制作中に悩んだことは?
日本刺繍は自分と向き合っている感覚があります。どういう風にしようかなと思った次の瞬間に、こころの奥底からアイデアが湧き出てくる。ほかのことも考えますけど、「あの人はこう言ったけれども、こうやったらいいんじゃないかな?」とか。すごく心の中で自分と対話していることがありますね。人間にとって大事なことだなと思いました。
ー日本刺繍を次世代に伝えるために。
日本刺繍はもともと日本刺繡ではなく、2~300年前、それ以前から大陸との交流がありました。中国からは文化、仏教が伝わっただけでなく、食文化、建築技術などとともに、刺繍をする職人さんも一緒に日本に入ってきていました。
私自身は日本刺繍で文化の大切さも学んだので、日本刺繍および他の日本文化を次世代に伝えたい気持ちがあります。私たちの世代でそれを途絶えてはいけません。
日本の文化が全部つながっており、長い歴史があるということを子どもたちに伝えたいです。日本の子どもが自国の文化に対してもっと誇りをもって、グローバルに活躍する根底には、日本伝統文化を教育の基礎にして、精神性の高い子どもが育てられるといいですね。
紅会の作品
職人の技が光る紅会(くれないかい)の作品の一部を紹介します。作品の説明はすべて高橋信枝氏によるものです。
筥迫(はこせこ)「牡丹」 江戸時代、振袖や打掛姿の姫たちの胸元には、たっぷりと刺繍が施された筥迫を懐中して美を競っていました。ビラかんざしは、髪の毛に刺すものではなく、筥迫用に作られたものです。
定家文庫「桃に小禽」女性の化粧道具を中に収め、部屋を装飾する役割も果たした定家文庫は、上品で、将軍家のお姫様達を彷彿とさせます。
箔地袋帯 「迎鴻宝(げいこうほう)」 宝を沢山載せてかつては大陸から日本へとやってきた船も、今は日本の地より、欧米へとその文化を運んでいます。
(聞き手・蘇文悦)
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