第1話:人間の本質とは【子どもが人格者に育つ教え「三字経」】

三字経』は中国で最も有名な儒教の古典の一つであり、宋の時代の偉大な儒教家である王応麟氏が最初に書いたもので、当時は私塾(現在の小学校に相当)の教科書として用いられていました。『三字経』には、儒教の根本から文学、歴史、哲学、天文地理などの内容が凝縮されており、まさに中国伝統文化の縮図のようなものです。そのため、古代の人々は「経」書として崇めていました。「経」とは不変の道理を意味しており、古代の人々はそれを誰もが見習うべき典範と考えていたのです。

ある大陸に住む文学部の大学生は興味津々で見入ってしまい、その奥深さに感嘆し、古代の小学生の思想レベルの高さや学識の広さに驚いたと言います。また、彼は「知るのが遅かった、青春を無駄にした」と深く後悔し、漢学を学ぶことを決意したそうです。

中国には古典作品が数多くありますが、その中でも『三字経』は最もシンプルでわかりやすい読物です。そのため、一般的に広く知れ渡っている『論語』(朱子学における「四書」の一つに数えられる、孔子とその高弟の言行を記録した儒教の経書)になぞらえた学者もいます。

一句三文字で読みやすく、また簡潔な詞で書かれている『三字経』は、非常に趣があり、人を正しい方向に導き、大志を抱かせることができます。『三字経』を学ぶことは、中国の伝統的な学問の扉を開くことに等しく、様々な変遷を遂げてきた歴史を知ることができ、人としての原則を理解することができます。だからこそ、『三字経』は広く流通し、廃れることなく、児童教育の啓発書として長く愛されてきたのです。

この連載では、今日の子供たちを再び正統な文化へと導くべく、儒教についての長い間の歪曲された誤解に満ちた見解を正すべく、さらには伝統的な中国の学問を忘れてしまった私たち大人が、儒教の基本を素早く理解し、先祖の知恵から恩恵を受けられるようにするために、時を過去に戻し、『三字経』を読んでいくなかから、当時の人の考えに迫りたいと思います。当時の偉大な儒教家たちはどのような心持ちで子供たちを教育していたのでしょうか。その目的とは何だったのでしょうか。そしてそれは私たちの人生にどのような影響を与えるのでしょうか。

また、儒教の教えは非常に人となりや振る舞いを重視していますが、それはなぜでしょうか。この学問が伝えようとしている事は一体何でしょう。勉学の目的は、個人の名声や出世のためなのでしょうか。心を落ち着かせ、リラックスした気持ちで『三字経』を読めば、答えはきっと見つかるはずです。また、現代の教育において多くの人が頭を抱えている問題も、実は徳育と知育の逆転現象に起因していることがわかることと思います。

それではこれより一緒に『三字経』を紐解いて行きましょう。そのうちきっと儒学の教えは私たちの生活と密接に関連していたのだということに気付くでしょう。儒学の教えは何も難しい事はなく、私たちが生きていく上で必要な基本的な事ばかりです。もっと早く知っていたら、困難に遭遇して解決方法がわからないこともなく、挫折を味わって人生の方向を見失うこともなかったと思うかもしれません。

原文

人之初、性本善、性相近、習相遠。

苟不教、性乃遷、教之道、貴以專。

訳文

人之初 人(ひと)の初(はじ)め
性本善 性(せい)本(もと)善(ぜん)
性相近 性(せい)相(あい)近(ちか)し
習相遠 習(なら)い相(あい)遠(とお)し
苟不教 苟(いやしく)も教(おし)えずんば
性乃遷 性(せい)乃(すなは)ち遷(うつ)る
教之道 教(おし)えの道(みち)は
貴以専 専(もっぱら)を以(もっ)て貴(たっと)ぶ

解釈

人は誰しも生まれた時には、その性はもともと善良です。皆本性は相似ており、大きな差はありません。しかし、大きくなるにつれ、育つ環境が違えば、見聞きするものも自ずと異なってきます。良い環境で育った者は自然と良い見識を身につけ、育った環境が良くなかった者は悪い事を覚えがちになり、両者の間に自然と差ができてきます。この時にきちんと教え導かず、様々な悪い習慣を身につけてしまうと、善なる性も変わってしまうのです。教え導く中で最も重要なのは、専一な教育を貫くことであり、中途半端にやめたりしなければ、完全なる学習ができるようになります。

筆者所感

『三字経』の序章は、わずか18文字の短い詞で、何世紀にもわたって伝わる儒教のさまざまな経典の究極の目的を書き表しています。

「人之初、性本善」始まりの6字では、人間の本質はもともと良いものであるという儒家の認識を表しており、続く「性相近、習相遠。苟不教、性乃遷」12字には儒教教育の基本的な目的が明確に示されています。教育の本質とは、人間の善良な性質を維持し、守ることです。

人間の本質は、生まれたばかりの時は誰もが善良であり、皆似かよっているものです(性相近)。しかし、育ってきた環境、あるいは出会う人や事柄の違いによって、触れるもの、影響を受けるものが大きく異なります(習相遠)。そのため、教育を受けなければ(苟不教)、後天的に起こり得る様々な影響によって、次第に本性を失い、知らず知らずのうちに悪に走ってしまうこともあるでしょう(性乃遷)。

最後の6文字で語っているのは、教育は続けることが大事であり、中途半端にやめてはいけないということです。教育の目的と重要性を理解した上で、次回は実際の例——「孟母三遷の教え」を紹介します。

故事寓話「周處、三悪を退治」
 

(あかえほ / PIXTA)

晋の時代、義興に周處という名の若者がいました。幼い頃に両親を亡くし、世の道理を教えられることのないまま大きくなりました。義侠心に富んだ人でしたが、しかし、その力強さゆえによく喧嘩や悪さをして村に迷惑をかけ、村の人々は毒蛇に出会ったかのように彼を避けていました。

ある日、彼が街を歩いていると、数人の人が集まって話し込んでいるのを見かけました。彼が興味津々に近寄ると、皆何も言わずに立ち去ってしまいました。その様子を疑問に思った周處は、慌てて一人の男性を捕まえると、「何を話していたのですか?」と尋ねました。男性は怯えた様子で正直に答えました。

「三悪が現れた。一つは南山にいる人喰い虎、もう一つは長橋の下の川に潜む蛟龍で、すでに多くの人に危害を加えている……」男性が言い終わるのを待たずに、周處は大声で「虎や龍の何が怖いのです!私に滅させてください」と叫びながら、一目散に走り去って行きました。

話によると、周處はその後本当にその人喰い虎を捜しに南山に行ったそうです。ある日、彼はようやく人喰い虎見つけ、襲われそうになった彼は、虎を華麗に避け、その背中に飛び乗りました。そして、拳を振りかざし、虎の頭を何度も強く殴打し殺してしまったのです。虎を滅することに成功すると今度は長橋へ向かい、川に飛び込み蛟龍と対峙しました。三日三晩かけてついに蛟龍をも殺してしまったのです。

村の人々は周處が戻って来ないのを見て、彼が虎か龍に食べられてしまったと思い、銅鑼や太鼓を鳴らしお祝いしました。戻ってきた彼は、人々が「三悪を退治した」と言って楽しそうに祝っているのを聞いて、自分が三悪の一つであることに気づいたのでした。

周處はとても恥ずかしく、後ろめたい気持ちになりました。自分の悪行のために人々から害として見られてしまったことをとても恥じ、改心することを決めました。その後、彼は陸雲に従いて勉学に励み、やがて立派な役人となって人々のために多くの善行を行いました。

思うに人は皆、生まれながらにして善良な心を持っているのです。周處はただ、両親が早くに亡くなり、以降誰からの指導も受けられなかったために、その先の人生の中で悪いことに染まってしまったのです。一旦目が覚めれば、人間本来持ち合わせている道徳観は取り戻せるものです。しかし、そのための早期教育は非常に重要だと筆者は考えます。才能や能力が備わっているだけではダメで、それを正しく使うための知識が必要です。ナイフが使う人によって様々な結果をもたらすように、医者が術式を間違えれば、メスで人を殺してしまうことさえあるのです。

また、他人を敬うことを知らない人がいます。才能が秀でていたり、高い教育を受けているために人より優れていると思い込み、他人に対して傲慢になり、気取った態度をとったり、さらには仕事を選んで上司を困らせ、次第に周りから避けられるようになります。いくら才能に溢れていても、他人への敬意を欠けば、人から受け入れてもらえないものです。その点も十分に注意が必要です。

つづく

——正見網『三字経』教材より改編)

文・劉如/翻訳編集・牧村光莉