荒々しくかつ背徳的な長編小説――『嵐が丘』(四)
理性を失った情熱
小説を読み終えた後も、嵐のような激しい感情がまだ収まりません。ヒースクリフとキャサリンの道徳観を破った激情、頂点に達したヒースクリフの憎しみと残酷さ、無情さ、そして、絶望の思い、思い返すたびに心を強く揺さぶられます。著者の筆の下で、愛と憎しみが混じり合い、人間の本性が完全に解き放たれました。
ヒースクリフとキャサリンの愛は当時の社会にも受け入れられず、たとえ今日でも、多くの人に理解されません。2人の愛は狂っているが、社会階級を超えた純粋なもので、お互い内側から、心から惹かれ合っています。肉体的な欲望ではなく、完全に精神的に、魂がぴったりあって契合していたのです。
キャサリンはこのように言いました。「この世で、私の最大の苦しみはヒースクリフが苦しむことで、それは最初から感じていた。彼は私の思想の中心よ。たとえ他のすべてが滅びても、ヒースクリフさえいてくれれば、私は生きていけるわ。しかし、もし、彼がいなくなったら、この世界は、私にとってなじみのないものだわ。リントンへの私の愛は、森の中の葉のようなものよ。冬が木を変えるので、時間はそれを変えるでしょう、私はよく知っている。ヒースクリフへの私の愛は、その下にある永遠の岩に似ている。目に見える喜びはほとんどないけれど、必要なの。ネリー、私はヒースクリフなのよ。彼は永遠に私の心の中にいるわ……」
エミリーの部屋
エミリー・ブロンテは心に染みる物語を織り出し、人間の本性に対する理解と悟りを抽象的に伝え、そして、自らの理想的な愛情への憧れと追求を表現しました。この小説と美しい愛情物語の『ジェーン・エア』とは鮮明な対照になっていることから、この姉妹が全く異なる性格をしていることが分かります。
1848年、弟の死により、悲しみのあまりエミリーは肺結核を患い、そして、全ての治療を断り、3か月後にわずか30歳で亡くなりました。エミリーは完全な学校教育を受けたこともなければ、結婚したこともなく、社会にもあまり触れませんでした。そんな彼女がただ自分の部屋にこもり、道徳上、感情上、社会や人々を驚かせるほどの小説を完成させたことに、誰もが不思議に思っています。
筆者が思うに、エミリーは19世紀初期のイギリスの伝統的な道徳を重んじる典型的な学者の家庭に生まれ、そして、男性とも社会ともあまり接せず、まさに心理学者、ジークムント・フロイトの性抑制理論のように、これらすべての要因が合わさって巨大な力となり、エミリーに一触即発、そして火山の噴火のような激しい感情と、豊富な想像力をもたらしたのではないでしょうか。これにより、エミリーはイギリス社会、ひいては、全世界を驚かせる名作を完成させたのです。
(完)
(作者 江宇応/翻訳編集 天野秀)